南北に長い幌加内町には朱鞠内湖と三つの盆地があります。三つの盆地の中で最も北に位置するのが添牛内駅のあったあたりで、真ん中に位置するのが政和駅のあったあたりです。「政和」の信号から少し南に進んだあたりの左手に、こんな建物を見かけました。位置的には駅のあったあたりに思えるので、もしかしたら当時の駅舎でしょうか?
前方右側に道の駅が見えてきました。道の駅「森と湖の里ほろかない」が正式名称のようですね。
ついに一線を越える
そして、道の駅は例によってスルーして、「遊楽橋」で「一線川」を渡ります。ついに一線を越えることに……(何を言っているんだ)。ついに一線を越えてしまったので、左折して国道 275 号を離れてみました。途中まで舗装された道路らしきものがありますが……
駐車場らしき場所が見当たらず、仕方がないのでその辺に車を停めさせてもらいました(すいません)。車を停めた横に大きな看板が見えますが……
鉄橋をモチーフにした枠の上には草花のイラストが描かれていて、下にはびっしりと解説文が描かれています。紹介が遅れましたが、ここには旧・深名線の「第三雨竜川橋梁」が保存されています。
「幌加内技能協会」さんによる熱い解説文をご覧ください。これは……更科さんと勝負できそうな……(どの辺が)。
渡部義雄君弔魂碑
車を停めたところが深名線の路盤跡のようで、そのまままっすぐ歩けば「第三雨竜川橋梁」です。では、橋梁を見に行く前に……向かって左側にある「渡部義雄君弔魂碑」を見ておきましょう。このあたりはかつて「ポンカムイコタン」と呼ばれた難所で、橋梁の工事を指導した青年技師・渡部義雄氏が竣工直前に雨竜川の激流(当時は朱鞠内湖は無かった)に転落、殉職するという痛ましい事故があったとのこと。この弔魂碑は氏の追悼のために竣工翌年に建立されたとのことで、深名線が廃止された跡も橋梁とともに健在です。
旧 JR 深名線第三雨竜川橋梁
それでは、「第三雨竜川橋梁」を実際に近くで眺めてみることにしましょう。車両の進入を防止するためにチェーンのついたポールが立っていますが、徒歩であればポールの左側を通行することができます。ポールの左には「旧 JR 深名線第三雨竜川橋梁のあらまし」と題された案内板があります。この案内板は「東京幌加内会」の方々が寄贈されたものとのこと。幌加内から東京に出ていった人が結構いらっしゃる、ということなんでしょうね。
鉄橋の手前までは自由に入ることができますが、さすがに鉄橋の上に入ることはできないようです(どう考えても危険ですからね)。立派な鉄製のフェンスが行く手を阻んでいますが……
フェンスの隙間から撮影することもできます。どうせだったら枕木と線路もあるといいのに……。
ちなみにこの「第三雨竜川橋梁」、国道からも割と見やすいところにあります。車を運転していて「あれっ」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
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