2019年9月8日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (659) 「オシリウシナイ川・チエズンドー川・カマッカオマップ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オシリウシナイ川

ururu-un-nay?
土手が・そこに入る・川
urir-un-nay?
鵜・いる・川
(o-sir-us-nay?)
(河口に・中洲・ある・川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
羽幌の市街地の南東側、「羽幌霊園」の脇を流れて旧・羽幌川(現在は「福寿川」)に注ぐ川の名前です。地理院地図には名前の記載はありません。

毎度おなじみ「東西蝦夷山川地理取調図」にも該当しそうな川が見当たりません。ただ、これは「ヒハウシ」の記載されている位置に誤りがあると見られます(「ヒハウシ」は現在の「大沢川」に相当すると考えられます)。

「東西蝦夷山川地理取調図」における「ヒハウシ」の位置が誤りでは無いかということの傍証を得るべく、「西蝦夷日誌」を確認しておきましょう。

六月十三日(安政三巳〔辰〕)。小舟にて上る。澤目廣く、水遅流にて、しばしにてヌツホコマフ(右川)、ウリルンナイ(同)、ベンケウリルンナイ(同)、チエツホンロ(同)、カマイタルンナイ(同)等、皆右の方にあり。流屈曲、恰も繩の如し。此處にて舟遣り難き故、陸行す。雑樹多く甚難澁也。ヒハウシ(左)、ヲサシウトロマフ(同)、セウントウ(同)、シウキナトウ(同)、右二ケ所上る、沼有。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.269-270 より引用)
はい。「東西蝦夷山川地理取調図」では「ヒハウシ」が「ウリルンナイ」よりも海側の左支流として描かれていますが、実際には明治時代の「北海道地形図」にもあるように、現在の「大沢川」が「ヒハウシ」だったと見て間違いないかなと思います(「西蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」の記述とも矛盾がありません)。

と言うことは……、「オシリウシナイ川」という、ともすれば珍名川になりそうな名前の川は、かつては「ウリルンナイ」だった、と考えられそうです。「ヌツホコマフ」だった可能性も残されていますが、「オシリウシナイ川」の東隣に「六線川」という名前の川が流れていて、これがちょうど「ベンケウリルンナイ」に当たりそうな気がするのですね。

「ウリルンナイ」という音からは、urir-un-nay で「鵜・いる・川」と考えたくなります(永田地名解はそう解釈したようですね)。ただ鳥の場合は un ではなく ot を使うケースが多いので、もしかしたら ururu-un-nay で「土手が・そこに入る・川」なのかもしれません。

「オシリウシナイ川」を読み解く

そして、「ウリルンナイ」が何故「オシリウシナイ川」になったのかは謎ですが、「オシリウシナイ川」は o-sir-us-nay で「河口に・中洲・ある・川」と読めそうです。

sir は「大地」や「山」と解釈することが多いですが、河口に山があると考えるのも変ですし、「土地がある」つまり「中洲がある」と解釈するのが現実的かな……と考えました。大正から昭和の頃の羽幌川は相当蛇行していたようで、途中にいくつか中洲もあったようです。オシリウシナイ川のあたりには中洲は描かれていませんが、かつて存在した可能性もありそうな感じでした。

チエズンドー川

chep-un-to
魚・そこに入る・沼
(典拠あり、類型多数)
「羽幌町中央」に「豊越橋」という橋がありますが、「チエズンドー川」は「豊越橋」のすぐ北で羽幌川に合流しています(西支流です)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チエツフホンロ」と言う名前で描かれています。「西蝦夷日誌」では「チエツホンロ」、「竹四郎廻浦日記」では「チヱハホシロ」とあります。

明治時代の「北海道地形図」には、この川のところに「チエプウント」と記されていました。あー、これなら納得ですね。chep-un-to であれば「魚・そこに入る・沼」ということになります(名寄の「智恵文」と同じ)。現在は沼の存在は見当たりませんが、かつての羽幌川は酷く蛇行していたので、河跡湖(三日月湖)があちこちにあったと考えても不思議はなさそうです。

カマッカオマップ川

kama-ika-oma-p??
岩盤・越える・そこに入る・もの(川)
kama-ka-oma-p??
岩盤・その上・そこに入る・もの(川)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
羽幌川の南支流で、道道 437 号「羽幌原野古丹別停車場線」沿いを流れています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「カマイタルンナイ」という名前の川が描かれています。「西蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」にも「カマイタルンナイ」という名前の川が記録されているので、少なくとも松浦武四郎はこの川を「カマイタルンナイ」と認識していたようです。

えーと、「カマイタルンナイ」をどう解釈するかなのですが、kama-ika-ru-un-nay で「岩盤・越える・道・ある・川」あたりでしょうか(「イタ」は「イカ」じゃないか、という想像込みの解ですが)。

そして「カマッカオマップ川」については kama-ika-oma-p で「岩盤・越える・そこに入る・もの(川)」か、あるいは kama-ka-oma-p で「岩盤・その上・そこに入る・もの(川)」あたりかなぁ、と思われます。

何の注釈も入れずに oma を「そこに入る」としていますが、本来、川は水源から河口に向かって流れるものであり、「そこに入る」というのは川の流れとは真逆の認識ということになります。ただ、アイヌにとって川とは「(自分たちが)遡るもの」であるため、たとえば山手から流れてきた川のことを mak-oma-nay で「山手・そこに入る・川」と呼んだりします。

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