2019年8月31日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (656) 「三毛別・ルペシュペナイ川・ニセイウシュナイ沢・サカンベツ沢」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

三毛別(さんけべつ)

sanke-pet
山から浜に出す・川
san-ke-pet?
棚山の・ところの・川
(典拠あり、類型あり)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
苫前町南東部の地名です。言わずとしれた「三毛別羆事件」発生地ですが、「三毛別羆事件復元地」があるのは、正確には三毛別川の支流の「ルペシュペナイ川」沿いです。「──復元地」に向かう途中で「射止橋」という橋を渡りますが、その直前に「← 苫前ダム」という案内があります。三毛別川の本流は苫前ダムのあるほうです。

お隣の羽幌町にも、築別川の支流で「三毛別」があります。混同しないようご注意ください。

また、現地に行かれた方はお気づきと思いますが、「三毛別」と「三渓」という表記が混同されている節があります。このあたりが「三渓」という地名になったのは昭和 13 年で、羆事件の 23 年後に改名されたということになります。

「西蝦夷日誌」には、「コタンベツ」の支流として「サンケベツ(右川)、是第一の支流也」と記されています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「サケヘニシヘツ」という名前で描かれています(「サケニヘシヘツ」の支流として「チライ」や「ヘンケチライ」、そして「ホンナ?フ」が描かれています)。

また、不思議なことに「北海道蝦夷語地名解」には「三毛別」に相当する川を見つけられませんでした(見落としだったらすいません)。

「三毛別」は、sanke-pet で「山から浜に出す・川」と解釈することができます。山田秀三さんはこれを「雪解けや長雨の際に増水する川」ではないかと考えて、初山別村での調査の帰りにわざわざ三毛別に立ち寄り、地元の老人に仮説の妥当性を確かめたところ、好意的なフィードバックがあったとのこと。そのため現在では「増水する川」説が一般的のようです。

前述の通り、「西蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」には「サンケベツ」と記されていますが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「サケヘニシヘツ」と描かれていました。仮に「サケヘニシヘツ」が「サンケニペシペツ」なのであれば、sanke-ni-pes-pet で「山から浜に出す・木・それに沿って下る・川」と読めそうな気もしてきました。

ただ、ni-pes という解釈が成り立つかは少々微妙で、nipes で「シナノキの皮」と解釈するほうが一般的な気もします。

また、山田さんの旧著「北海道の川の名」には、別の仮説も記されていました。興味深いものなので、紹介しておきます。

 なお、頂上が平らで細長い山をサン(san 棚山)と呼ぶ。もしかしたら、San-ke-pet(棚山の・処の・川)だったのかも知れない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.76 より引用)
あっ……

地形図ではそれらしい山形が見られるが、これは現地に行って、山容を眺めなくては、そういい切れない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.76 より引用)
フィールドワークを重視する山田さんらしい感想ですね。それはそうと、確かに地形図を見てみると、古丹別の集落の南東から三毛別川に沿って、まさしく san(棚山)と呼ぶに相応しい山が伸びています。san-ke-pet で「棚山の・ところの・川」という解釈も、個人的には十分に妥当性が感じられるのですが……。

ルペシュペナイ川

ru-pes-pe-nay
道・それに沿って下る・もの・川
(典拠あり、類型多数)
「ルベシュベナイ川」と表記されている場合もあります(地理院地図に準拠して「ルペシュペナイ川」としています)。

道道 1049 号「苫前小平線」の「射止橋」の東で三毛別川に合流する南支流の名前です。三毛別川沿いを通っていた道道 1049 号は、「射止橋」から先は支流であるルペシュペナイ川沿いを通って小平を目指します(……が、小平までは未開通です)。

「ルペシュペナイ」は ru-pes-pe-nay で「道・それに沿って下る・もの・川」ということになりますが、本来、-pe(もの)は「川」を意味するとされます。つまり「ルペシュペナイ川」は「道・それに沿って下る・川・川・川」と言うことになってしまいます(汗)。

nay は必ずしも「川」を意味しないのではないか、もっと言えば「川」ではなく「谷」と考えるべきではないか……という説もありますが、こういった例を見てしまうと、改めて検討すべき説かもしれませんね。

ニセイウシュナイ沢

nisey-us-nay?
断崖・ついている・川
(? = 典拠未確認、類型多数)
道道 1049 号の「射止橋」の北側から東に向かうと、三毛別川に設けられた「苫前ダム」にたどり着きます。ニセイウシュナイ沢は苫前ダム湖の南東側に注ぐ支流の名前です。

「ニセイウシュナイ」は nisey-us-nay で「断崖・ついている・川」と考えて良いかと思われます。

サカンベツ沢

san-ka-an-pet???
棚山・かみて・ある・川
sak-an-pet??
夏・ある・川
(??? = 典拠なし、類型未確認)(?? = 典拠なし、類型あり)
ニセイウシュナイ沢の東側を流れて、ニセイウシュナイ沢よりも上流側で三毛別川に合流する南支流の名前です。この川を源流部まで遡ると「佐官別山」があり、分水嶺の向こう側(小平町側)には「砂寒別川」が流れています。

小平側の「砂寒別川」は、古い地図には「ソウシュベツ沢」あるいは「ソウシベツ沢」と記されていました。そのため、一連の「サカンベツ」は今回取り上げる「サカンベツ沢」に由来するのではないか、と考えています。

sak は「夏」で、an は「ある」と言った意味ですから、sak-an-pet で「夏・ある・川」と読めるのかもしれません。ただ、サカンベツ沢の東西(特に東側)に「棚山」と呼べそうな山が伸びています。もしかしたらそのことから san-ka-an-pet で「棚山・かみて・ある・川」と呼んだ可能性もあるんじゃないか、と思い始めています。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2019年8月30日金曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (91)「『キマロキ』の『ロ』(後)」

「キマロキ編成」の「ロータリー車」の話題をもう少しだけ続けます。保存展示されている「キ 604」は前後の入り口が開放されているので、次は後ろの入り口から中を見てみることにしましょう。

自走できないロータリー車

進行方向に向かって左側、蒸気機関車だと機関士側の場所に、座面だけの椅子が備え付けられていました。左には、まるで蒸気機関車のような「釜」(ボイラー)も見えます。
このロータリー車は自走できませんが、タービンを回すために蒸気機関を搭載しています。「釜」の蓋は「59601」と同様に封印されています。小動物の侵入を防ぐ、などの理由があるのでしょうね。
進行方向に向かって左側から前方を望みます。蒸気機関車のようにボイラーが見えていますが、蒸気機関車とは異なり外に「車体」があります。なぜボイラーを車体で覆ったのか……という話ですが、見た目以外にも理由があったのでしょうか。

実は再利用でした

後位には、蒸気機関を動かす上で必須となる「石炭」と「水」を格納する領域(テンダー車)があります。
車両の真ん中から後方を望みます。蒸気機関車の「炭水車」とは異なり屋根があるのが特徴的ですが……
改めて遠目から眺めてみると、「炭水車」に屋根を付けただけに見えてしまいます。実は本当にそうだったようで、後位の炭水車は蒸気機関車のものを流用した(屋根を付けただけ)そうです。
屋根の向こうには、「キマロキ」の後ろの「キ」である D51 398 の前照灯が見えています。

スノープラウのようなもの

進行方向に向かって右側から前方を望みます。ボイラーを覆う形で車体があるという構造に違いはありません。
後位側の車輪の手前にはスノープラウ(のようなもの)が装着されていて、必要に応じて広げていたようです。
マックレー車が左右の雪を掻き集めて、ロータリー車が集めた雪を吹き飛ばす……というのが「キマロキ編成」の仕組みですが、ロータリー車が飛ばしきれなかった雪を踏んで脱線する……ということを避けるために、残った雪を改めて外に掻き出していたのでしょうね。
「キマロキ編成」の残りの「後ろのキ」については、また日を改めて……。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2019年8月29日木曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (90)「『キマロキ』の『ロ』(前)」

「名寄公園」の近くに保存展示されている「キマロキ編成」の話題を続けます。次は「キマロキ」の「ロ」にあたる「ロータリー車」です。
この「ロータリー車」には複数の扉があり、前のほうと後ろ(と言っても車両全体で見ると中央ですが)の入り口から中に入ることができます。よく見ると階段(はしご)の段数が異なっていますね。
保存車両の車番は「キ 604」です。扱い上は「貨車」の筈ですが、まるで機関車のような見かけをしていますね。

連結器ではなく連接棒を使った理由

中に入る前に昨日のおさらいです。「キマロキ」の「マ」にあたる「マックレー車」とロータリー車の間は、通常の連結器ではなく特殊な連接棒で結ばれていた……と記しましたが……
よくよく考えてみると至極当然な話で、ロータリー車の先頭には巨大なタービンがあったのでした。これでは連結器をつける場所が無いですからね。
連接棒は、マックレー車側にバネで吊るされているように見えました。ロータリー車と連接棒を切り離した際に、このバネで連接棒の重みを支える目的でしょうか。

謎の「BEBICON」

それでは、ロータリー車の中に入ってみましょう。まずは前位の入り口から。
中には金属製の網で囲まれた箱の中に、まるでガスボンベのようなものが置かれています。
網には鍵がかけられています。ボンベのようなものには「BEBICON」と記されていますが、良く見ると左に日立のマークが描かれていました。これ、どうやらコンプレッサーのようですが、ブレーキ用とかでしょうか……?

まるで蒸気機関車のような

コンプレッサーの横から後位を望みます。……どう見ても蒸気機関車っぽいですが、この蒸気機関は車両を動かすのではなく、ロータリー車のタービンを動かすためのものです。蒸気機関車とは異なりわざわざ外に車体を設けているのは、見た目で蒸気機関車と間違えるのを防ぐためだったりするのでしょうか。
そして、蒸気機関車では前面のナンバープレートがあるあたりには壁があり、圧力計がついていました。自動車におけるタコメーターと同じくらい、あるいはそれ以上に重要な計器だったのでしょうね。

六分儀のような謎な機械

回れ右して前の方を見てみます。巨大なタービンがあるので視界は決して良いわけではありませんが、それでも蒸気機関車よりは視界が優れています。
ロータリー車の前位側は前面左右に窓がありますが、前面左右の窓の間に六分儀のような謎な機械が鎮座しています。どうやらこの機械で雪を投げる方向を調整していたみたいですね。それにしても、このアナログなデザイン、ここまで来るとアートの領域ですね。
右側には、てこのようなレバーが見えます。このレバーでタービンの横のフィンの角度を調整したのでしょうか。全体的にアナログな設計なので、ある程度は見ただけで判断できそうな感じがして面白いですね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2019年8月28日水曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (89)「『キマロキ』の『キ』と『マ』」

「名寄公園」の近くに保存展示されている「キマロキ編成」の話題を続けます。頭上にめちゃくちゃ広がる青空、いいですよねぇ~
まずは「キマロキ」のおさらいから。「蒸気機関車」「マックレー車」「ロータリー車」「蒸気機関車」そしておまけの「車掌車」からなる「除雪のスペシャリスト軍団」です。

9600 形蒸気機関車「59601」

では、改めて先頭の 9600 形蒸気機関車「59601」をじっくり見てみましょう。「59603」だったらゴロが良かったんですけどね。
運転席に登るための階段が用意されています。日本の蒸気機関車は概ね「黒一色」ですが、この 59601 はフチの部分が白く塗られているところがあり、なかなかオシャレな感じです。煤煙が入るのを防ぐためのカーテンも見えますね。
後位の「炭水車」(テンダー車)には石炭などは積まれておらず、代わりに鉄パイプのようなものが置かれていました(柵の部材とかでしょうか)。二両目の「マ」ことマックレー車も見えますね。
運転席のすぐ後ろに、炭水車の石炭が出てくる場所(名前がわからん……)があります。ここに出てきた石炭を、機関助士がスコップで前方の「釜」(ボイラー)に投げ入れることになります。

過酷な環境の運転室

これが「釜」の写真です。石炭の投入口はドアで閉じられています。
ボイラーのドアは、猫あたりだとすんなり入れそうなサイズなので、しっかりと南京鍵で封印されていました。
上の方には、いくつもの圧力計が並んでいました。給炭のタイミングを推し量る上でも圧力計の数字は重要だったのでしょうね。大きな圧力計が二つ並んでいるのは、2 シリンダー構造だったからなのでしょうか。
左側が機関士が座る運転席です。ここにも圧力計が二つ並んでいますね。前方の窓が丸くなっていますが、これは回転式ワイパーが装着されているからでしょうか。
右側の窓は普通の長円形のようです。金属部品を中心にやたらと金色のパーツが目立ちますが、これは展示用のカラーリング……ですよね? 実際はもっと黒一色だったんじゃないかと想像しますが、いかがでしょう?

マックレー車「キ 911」

さて、続いては二両目のマックレー車「キ 911」ですが……残念ながら、ドアに鍵がかかっていたため中の写真はありません。
改めてマックレー車のフィン(羽根)の形を見てみますと、下の方の先端部が内側に巻いた構造になっていることがわかります(強度を高めるためでしょうね)。そして上部が極端に広くなっているのですが、線路脇の樹木にぶつかったりしなかったのでしょうか(もちろん適宜フィンを動かしていたのでしょうけど)。
二両目の「マックレー車」と三両目の「ロータリー車」は密接に結合しているように見えましたが、実は連結器でつながっているのではなく、独自の連接棒でつながっていたようでした。

続きます

ロータリー車の話題は……また明日にでも。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2019年8月27日火曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (88)「準鉄道記念物『キマロキ』編成」

「名寄公園」からほど近い一角に、黒塗りの高級……確かにある意味高級ですが、どちらかと言えば「特殊車両」……が保存されていました。
先頭の蒸気機関車には、立派なヘッドマークもつけられていました。
ヘッドマークには「準鉄道記念物 排雪列車『キマロキ』編成」とあります。はい、名寄には国内で唯一となる「キマロキ」編成が保存されているということで、一度見ておこうと思ったのですね。

最初の「キ」は「キカンシャ」のキ

「キマロキ」という、どことなくジャンカルロ・マロッキを彷彿とさせる(させません)名前ですが、最初の「キ」は「キカンシャ」のキのようです。
この「国鉄 9600 形蒸気機関車」は貨物用(=トルクフルだが速度は出ない)の蒸気機関車で、770 両が生産されています。ここに保存されている車両は「59601」で、「9600 形」の 502 両目に当たる……筈です。

1 号機が「9600」で、100 号機が「9699」、101 号機が「19600」というネーミングルールです。必ず千番台が「9」で百番台が「6」になる、ということですね。

マックレー車

さて、「59601」の次の二両目が「キ 911」という黒塗りの特殊車両です。一見すると洗濯物を干すのに良さそうな構造に見えますが……(もう少しマシな感想は無いのか
実は、車両の後ろのほうに逆ハの字形をした巨大なフィン(羽)があって、車両の左右の雪を掻き集められるようになっています。線路に積もった雪は、スノープラウやラッセル車などで左右に掻き分けられますが、それだけでは線路の左右に雪が溜まって壁になってしまうので、わざわざ掻き分けた雪を再度掻き集めるわけです。
ちなみに、こう言った構造の車両を「マックレー車」と言うのだそうです。脱線しないか心配になりますね(それはマクレーでは)。
わざわざ線路脇に除けた雪を、再度線路上に掻き込んでどうする……という話ですが、後ろに「ロータリー車」の赤いタービンが見えています。そう、このタービンで、マックレー車が掻き込んだ雪を遠くに吹き飛ばす……というのが、この「キマロキ編成」の目的です。

ロータリー車

マックレー車とロータリー車は一体化したかのように見えますが、実際には「キマ」(機関車とマックレー車)が先行して、少し後から「ロキ」(ロータリー車と機関車)が追いかける、という形で走行することもあったようです。
「キマロキ編成」の後半です。「ロータリー車」と後位の「機関車」ですが……
こうやって見てみると、「ロータリー車」もまるで蒸気機関車のように見えます。この「キ 604」は「国鉄キ 600 形貨車」という名前の「貨車」ですが、前面のタービンを回すための蒸気ボイラーが載っていました。ただ、自走はできないので「貨車」扱いだったようです。
「ロータリー車」は自走ができないので、後位の蒸気機関車が後押しすることになります。前位の「蒸気機関車」+「マックレー車」+「ロータリー車」+後位の「蒸気機関車」で「キ・マ・ロ・キ」だったのですね。

後ろの「キ」も「キカンシャ」のキ

後位の蒸気機関車は、日本国内でもっとも多く生産された蒸気機関車である D51(D51 398)です。こちらも 9600 と同じく貨物用の蒸気機関車です。
ちなみに、こんな顔出しパネルが用意されていました(笑)。左腕が窓枠にかかっているあたり、ポーズも決まってますね!

「キマロキよ?」

「キマロキ編成」は機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車の 4 両編成……だと思っていたのですが、あれっ、実際には最後に「車掌車」も連結されていたのでしょうか。
この「車掌車」は「国鉄ヨ 3500 形貨車」で、紋穂内駅などの駅舎としても再利用されているもの……でしょうか。「キマロキ」の 4 両に車掌車「ヨ」を足すと「キマロキヨ」になるので、ちょっと脱力感が増すような感じもしますね(汗)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International