2019年8月25日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (655) 「鬼泊川・温寧川・小種子川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

鬼泊川(おにとまり──)

onne-tomari
大きな・泊地
(典拠あり、類型あり)
国道 232 号でただ一つの掃除機……じゃなくてトンネルである「小平トンネル」を抜けて北に向かうと下り坂の途中で川を渡りますが、この川が「鬼泊川」です。川を少し遡ったところに国鉄羽幌線の「花岡仮乗降場」がありました。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」に記載がありましたので、見てみましょうか。

 鬼泊(おにとまり)
 昭和十二年の字名改正でこの地名はなくなったが、五万分の地図にはまだ鬼泊という山の奥の部落の名になって残っている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.142 より引用)
あー、きっとそんなところでしょうね。陸軍図を確認すると、たしかに国鉄羽幌線の沿線に「泊 鬼」と記されていました。面白いのは、「鬼泊」は本来は沿岸部の地名だったと思われるのに、川を遡った奥の地名として扱われている(ように見える)ところでしょうか。

ここを流れている川の出口が、昔は大きな船がかりの澗があったので、アイヌ名でオンネ・トマリ(年老いた入江で奥の深い船澗)といっており、この小川をオネトマリとなった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.142 より引用)※ 原文ママ

はい。どうやら onne-tomari で「年老いた・泊地」と考えて良さそうでしょうか。onne は「年老いた」という意味ですが、husko のような「古い」という意味で捉えるのではなく、「親である」故に「大きな」と解釈したほうが良い場合があります。今回の場合は onne-tomari で「大きな・泊地」ということになるでしょうか。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

こへて
     ヱンカルウシ
     ヱカウシナイ 小川
     ヲ子トマリ
小川有、歩行わたり。平浜、寄り木多し。番屋一棟(梁弐間半、桁六間)、茅漁小屋茅蔵二棟、弁天社有。夷家もむかしは五軒有しと、今はなし。只番屋守のみ住す。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.495-496 より引用)
「ヱンカルウシ」は「小平トンネル」の上にある「望洋台キャンプ場」のあるあたりと考えられます。inkar-us-i で「見張る・いつもする・ところ」と考えられます。

「ヱカウシナイ」は、永田地名解に次のように記されている川のことと考えられます。

Ika ush nai  イカ ウㇱュ ナイ  山徑ヲ回リ越ス處ノ川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.396 より引用)
ika-us-nay で「渡渉する・いつもする・川」と読めそうですね。「山道を回り」という補足の意図するところは不明ですが……。

ところが、「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると、少し妙なことになっていることに気が付きます。「鬼泊川」と思しきところに「エカウシナイ」と描かれていて、右下に「一名ヲン子ナイ」と描かれています。

しかも「エカウシナイ」の支流として「ヲン子ヲ子トマフ」という川も描かれています。「トマフ」は「トマリ」の誤記かもしれませんが、onne-onne-tomari というのもちょっと珍しいかな、と。名詞句を重ねるのはちょくちょく見かけますが、完動詞を重ねるというのはあったかな……という疑問が出てきます。

まぁ、onne-tomari 自体が固有名詞化したと考えれば何の矛盾も無くなるんですけどね。

温寧川(おんねい──)

onne-{o-ni-us-ka-pet}
大きな・{鬼鹿川}
(典拠あり、類型あり)
小平町鬼鹿を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホンヲニシカ」という川と「ホロオニシカ」という川が描かれていますが、現在「温寧川」と呼ばれる川は「ホロオニシカ」のことだったと思われます。

明治時代の地形図を見てみると、「鹿鬼」とあるところに「ツペカュㇱウニオ子ンオ」と言う川が描かれています。この上なく読みづらいので向きを直すと「オン子オニウㇱュカペツ」となります。何のことはない、onne-{o-ni-us-ka-pet} で「年老いた・{鬼鹿川}」だったのですね。

onne は「年老いた」という意味ですが、husko のような「古い」という意味で捉えるのではなく、「親である」故に「大きな」と解釈したほうが良い場合があります(コピペ)。

この川の場合はまさしく「大きな」と解釈すべき事例で、道の駅「おびら鰊番屋」の近くを流れる「番屋の沢川」が pon-{o-ni-us-ka-pet} で「小さな・{鬼鹿川}」なのに対して、温寧川が poro-{o-ni-us-ka-pet} と呼ばれていて、またの名として onne-{o-ni-us-ka-pet} で「大きな・{鬼鹿川}」と呼ばれた、ということになるでしょうか。

小種子川(おたね──)

otanikor(-nay)
海岸の砂浜(・川)
(典拠あり、類型あり)
鬼鹿の集落の北に位置する「鬼鹿元浜」のあたりを流れる川の名前です。「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     ホントマリケシヲマナイ 小川
     ホロトマリケシヲマナイ 小川
     ホンヲタニコル 小川
     ホロヲタニコル 小川
むかしは此処が境目のよし申伝ふ也。近頃は是よりしばし先になりたり。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.499 より引用)
これを読む限りでは「ホンヲタニコル」と「ホロヲタニコル」という川が並んでいたようにも見受けられますが、「東西蝦夷山川地理取調図」では「ホントマリケシヲマナイ」「ホロトマリケシヲマナイ」「ヲタニコル」とあり、「ヲタニコル」に一本化されています。小種子川は途中で二手に別れているため、そのことを指して「ホン」(pon)と「ホロ」(poro)としたのかもしれません。

永田地名解には次のように記されていました。

Otane koro nai  オタネ コㇿ ナイ  沙濱ノ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.398 より引用)
さて「オタネ」などと言う語彙があったかしら……という話になるのですが、田村すず子さんの「アイヌ語沙流方言辞典」には otanikor という語彙が記されていました。otanikor で「海岸の砂浜」を意味し、もともとは ota-nikor で「砂・の(包まれる)中」ではないかとのこと。nikoro で「……の(くるむ)中」とも記されているので、あるいは ota-nikoro とも考えられるかもしれません(意味するところは同一です)。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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