出発の前に外気温を確認したところ、なんと +29.5 ℃ と表示されていました。道東でこれだけ高温になるというのも……
神秘の湖「チミケップ湖」
生田原から南下して留辺蘂(北見市)に向かい、その後は東に向かって北見市の中心部に向かいました。そして改めて南に向かって津別町の「チミケップ湖」へ。アクセス道路には一部ダート路があると聞いていましたが、見事にダート路でした。ダート路を走ること 6~7 km ほどで、チミケップ湖の湖面が見えてきました。雨が降っていたので車のガラス越しですが、木々の間から覗く湖面はいかにも神秘的です。
そしてチミケップ湖の畔には「チミケップホテル」がありました。この場所にある……ということは、ダート路を走ってこないとたどり着けない……ということになります。かなり酔狂な立地ですが、浮世離れした空間が広がっているのかもしれません。一度泊まってみたいものです。
神秘の湖(またか)「オンネトー」
チミケップ湖から東に向かい、津別町本岐で国道 240 号に入ります。釧北峠を越えてから右折して、国道 241 号の足寄峠を越えます。雌阿寒岳の西に位置する「オンネトー」(足寄町)にやってきました。古潭・雄別歴史資料室
オンネトーからは国道 241 号に戻り、改めて国道 240 号で釧路市(旧・阿寒町)に向かいます。阿寒川沿いを下って旧・阿寒町の中心街まで来たところで、今度は阿寒川の西支流である舌辛川沿いを北上して、雄別炭鉱(跡)に向かうことにしました。国道 274 号が乗り入れている阿寒町布伏内に、「古潭・雄別歴史資料室」という建物を見かけたので、中を見てみることにしました。
この「資料室」は「布伏内コミュニティセンター」という公民館のような建物?の一角にあるのですが、とても公民館の一角とは思えないくらい、凄い密度で展示品が並びます。ご覧の通り、とても見栄えも良いものです。
もの凄いボリュームの展示
資料室には、炭鉱の記録・地区の記録・学校の記録などが所狭しと並べられています。以前に幾春別の博物館を見学したことがありますが、この資料館は炭鉱そのものに関する工具の展示などは控えめな印象がありました。むしろ「炭鉱の町とそこに暮らした人、そして鉄道」と言った趣でしょうか。「所狭し」というのは実は文字通りの意味でもあって、このようにパネルを動かして展示を見る、という仕掛けが多くありました。
「古潭雄別昔と今」と第された、定点観察の展示もありました。
雄別炭鉱華やかなりし頃の写真と、同じ場所の現在の様子を比較して眺めることができます。
ちなみにこれは「生」の字です
雄別炭鉱の坑道入り口には「安全生産」というスローガンを記した巨大な看板がありました。閉山後も放置されていたこの看板を回収して、資料室内に展示してあります。「えっ、どこに?」と思われるかもしれませんが……ほら、ここに。
これだけの資料を蒐集して、きれいに整理して展示してあるのですが、なんと閲覧は無料とのこと(!)。凄いです。本当に凄いです!
草の中の遺構
「古潭・雄別歴史資料室」には、現存する炭鉱関連の遺構が地図上で整理されていました。おおよその位置は掴めたので、車を走らせてみることにしました。あ、確かに建物の跡が残っていますね。
このダート路は、実は 2008 年に初めてマイカーで北海道に上陸したときにも通っていた……ような記憶があります。その時は「雄別炭鉱記念碑」以外は何も見つけられなかったのですが、なんのことは無い、巨大な煙突が健在でした。前回は見落としていたのか、逆方向に走っていたので気づかなかったか……。
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