(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
樽真布(たるまっぷ)
(典拠あり、類型あり)
留萌市東部の地名で、留萌川の北支流である「タルマップ川」が流れています。「西蝦夷日誌」には「タロマフ」とあり、「東西蝦夷山川地理取調図」にも同様に「タロマフ」という名前の川が描かれています。永田地名解には次のように記されていました。
Taoromap タオロ マㇷ゚ 高キ川岸taor-oma-p で「川岸の高所・そこに入る・もの(川)」と読めそうですね。若干「自己言及のパラドックス」的な趣もありますが、タルマップ川の下流部では川の西側に(標高が)50 m ほど高い土地が続いていて、この地形的な特徴を指したものかな、と思わせます。
なお、現在「東幌糠」と呼ばれているあたりも、かつては「タルマップ」と呼ばれていたようです。
ユードロ川
(典拠あり、類型あり)
留萌市大和田あたりで留萌川に注ぐ北支流の名前です。昔は電子メールと言えば……いえなんでもないです。「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。
バンケシマニ(同)、べンケシヤニ(右)、フイタシナイ(同)、アトイニナイ( 同)、イライウシナイ(同)、ヌフリケシヨマフ(同)、ハナワアニユウトロマフ(同)、ヘナワアニユウトロマフ(同)、ヘナワアニユウトロマフ(同)〔衍カ〕、ウルエンホロヒナイ(左)、トンベツ(左)、ベンケトンベツ(左)、ポンヌカ(左)、ヲンネヌカ(左)、タロマフ(左)
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.251 より引用)
「ヘナワアニユウトロマフ」が二つあるのはご愛嬌でしょうか。「ユードロ川」は「ヘナワアニユウトロマフ」か「ハナワアニユウトロマフ」のどちらかではないかと考えたのですが、明治の頃の地形図には「ポロユートリマプ」と記されていました。「西蝦夷日誌」にある三つの「──ユウトロマフ」のどれが現在の「ユードロ川」なのかは判断ができませんが、「ユードロ川」が「なんとかユウトロマフ」に由来する、と考える分には問題無さそうかな、と思えてきました。「ハナワアニユウトロオマフ」であれば pana-wa-an-e-utur-oma-p で「川下のほう・に・ある・頭(水源)・間・そこにある・もの(川)」と読めます。「ユウトロマフ」は e-utur-oma-p で「頭(水源)・間・そこにある・もの(川)」と考えられそうですね。
改めて地形図を見てみると、ユードロ川の水源の近くで両端から山が迫っている部分がありました。おそらくはこの地形的な特徴から名付けられたのではないかなぁ、と思われます。
バンゴベ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
留萌市の市街地から、留萌川の北支流である「バンゴベ川」を遡ると、同名の「バンゴベ」という地名があります。明治の頃の地形図を見てみると、現在の「バンゴベ川」と思しき川に「パンケペサン」と記されているように見えます。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘンケヘサニ」と「ハンケヘサニ」という川が並んで描かれています。どうやら「ハンケヘサニ」あるいは「パンケペサン」が現在の「バンゴベ川」の元の名前のようです。
永田地名解には次のように記されていました。
Panke pesan パンケ ペサン 鹿ノ交尾スル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.399 より引用)
えっ? あの……もしもし? 一体この人は何を言っているのだろう……と思ったのですが、萱野さんの辞書を見ると pesa-kar-usi で「鹿が集まる谷地」という語彙があるとのこと。では pesa は「鹿」なのか……と言うと、そういう情報は見つからないというのが面白いところなのですが。バンゴベで鹿が盛っていたかどうかはさておき、「パンケペサン」を素直に読み解くと panke-pe-san で「川下側の・水・山から浜に出る」ではないかなぁと思えます。元々は panke-pe-san-i で「川下側の・水・山から浜に出る・もの(川)」だったのでしょうね。
バンゴベ川は隣のユードロ川と同じく、水源が小平町との境界にあります。比較的直線的な谷を流れる川なので、雨が降った時には一気に水が押し寄せるような特色?がある川だったのでは無いでしょうか。潜在的な災害(鉄砲水)の可能性を示す地名……なのかもしれません(断言はできませんが)。
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