駐車場までの道は、単なるダート路だと思っていたのですが、よく見ると玉石(ごろた石)が敷き詰められているようにも見えます。ちゃんと歩きやすいように工夫されていたのですね……。
駐車場が見えてきました。先客の方の車はもう見えません。どうやら行き違いだったようですね。
車に戻って、ダート路を国道に向かって走ります。
危
国道 40 号に戻ってきました。ここから音威子府村の中心部に向かいます。そして、よく見るとこんな味わい深い警告が。ここまでは正面衝突に注意すべきエリアだったということでしょうか。
筬島に向かう唯一の道
松浦武四郎が「北加伊道」というネーミングを着想したとされる「筬島」の集落は、天塩川の北側にあります。車で筬島に向かうには、この交叉点を左折して天塩川に架かる「筬島大橋」を渡る以外に方法はありません。物満内覆道・物満内橋・物満内川
「物満内川」にかかる「物満内橋」が見えてきました。「物満内」は同名の覆道もあり、このあたりでは妙に目にすることの多い地名・川名です。このように「物満内」と記された地名表示板もあります。ローマ字表記もついているので、「ものまない」を正確に読める人も多そうですね。
左右が開けて天塩川
国道 40 号を、天塩川に沿って東に向かいます。音威子府の道の駅まであと 2 km のところまでやってきました。程なく左右が開けてきました。音威子府の中心部まではもう少しです。
上川北部の「大雨警報」は継続中のようですね。それほど雨が酷いようには感じられませんが……。
昔も今も分岐点
音威子府の中心部は天塩川の東側(北側)です。国道は天塩川の西側(南側)を通っているので、「音威子府大橋」で天塩川を渡って北東側に向かいます。ん、「地理院地図」の表記に準拠して「音威子府大橋」としたのですが、案内は「音威子府橋」ですね。音威子府は国鉄宗谷本線と天北線の分岐駅でした。道路網でも宗谷線沿いを経由する国道 40 号と、天北線沿いを経由する国道 275 号が分岐しています。分岐の近くに道の駅もあるので、ちょっと立ち寄ってみましょうか(あれ、珍しい)。
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