(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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筑紫川(ちくし──)
(典拠あり、類型あり)
秩父別町役場の前の道路脇を流れる川の名前です。今はそれ以上のものではありませんが、かつては同名の「筑紫駅」という駅もありました。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょう。秩父別(ちっぶべつ)
所在地 (石狩国)雨竜郡秩父別町
開 駅 明治 43 年 11 月 23 日
起 源 アイヌ語の「チ・クㇱ・ペッ」(われらの越える川)から転かしたものである。もと「筑紫(ちくし)」といったが、昭和 29 年 11 月 10 日、村名に合わせて改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.101 より引用)
ややこしいことに、「筑紫川」とは別に「秩父別川」も JR 留萌線・北秩父別駅の近くを流れています。「──駅名の起源」の言うように、「秩父別」が chi-kus-pet の転訛したものなのであれば、chi-kus-pet が「秩父別」と「筑紫」に二極分化した……ということになりそうです。もっとも、「秩父別」が chi-kus-pet から来たという定説には検討の余地があることを、以前に山田秀三さんが示していました。「再篙石狩日誌」には「チツフシヘ」という川の存在が記されており、また「東西蝦夷山川地理取調図」には「チフクシベ」という川が描かれています。
「チフクシベ」は chip-kus-pet と読み解くことができます。これだと「舟・通行する・川」ということになります。この解釈について、山田秀三さんは「北海道の地名」で次のように記していました。
要するにこの湿原の中を舟で交通した時代があってこの名が出たのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.81 より引用)
ありそうな話ですね。そして「筑紫」の名のもとになった chi-kus-pet は「我ら・通行する・川」と読めます。もっとも、 chip-kus-pet と chi-kus-pet が別物だったか、あるいは実は同じ川を指していたのかは判然としません。「舟が通る」のであれば「我らも通る」わけで、音的にも、また本質的にも似たネーミングと言えそうな気もします。元々は同じ川に対して二通りの「通り名」が存在していて、それぞれいつの間にか別の川の名前になってしまった……と考えるのが自然ではないかな、と思っています。
イスカ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
秩父別町の南東を流れる小河川の名前です。深川留萌道で深川市から秩父別町に入ってすぐのところを流れています。現在は「大鳳川」の支流の「境川」の、その更に支流である「秩父別桜川」の支流という存在ですが、元々は「東西蝦夷山川地理取調図」にも記載のある「ちょっとは名の知れた」川だったようです。「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。
同じく屈曲の川すじしばし行て凡一里
イイカルウシ
ハナワイカルウシ
等皆南方。平地にて遅流、泥川なり。川岸蘆荻多し。しばし行て二里位
ヘナワイヽカルウシ
メ ム
右の方小川・此川上水溜りに成、其上に谷地有るよしなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.340 より引用)
また、永田地名解にも次のように記されていました。Ikka ushi イㇰカ ウシ 盗賊ノ處 沙流郡沙流川ニ同名ノ地アリ往古盗賊ノ住居セシ處ナリト云フ確かに「イスカ」で「盗む」という語彙があったようで、「盗」でこれまでの記事をググったところ、見事に沙流川上流域の「イツカナイ川」がヒットしました。
永田地名解の「盗賊が住んでいたところ」という解釈はとりあえず除外して、「イイカルウシ」と「イㇰカウシ」で考えてみると、i-ika-ru-us-i で「我ら・越える・道・ある・もの」あるいは ikka-us-i で「越える・いつもする・もの」と解釈できそうですね。
「ハナワ」と「ヘナワ」は、pa-na-wa-an で「海寄り・の方・に・ある」あるいは pe-na-wa-an で「山寄り・の方・に・ある」です。panke- と penke- ほどではありませんが、地名ではちょくちょく出てくる言い方ですね。
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