「弁慶」という地名も道内の各所で目にします。「義経伝説」の影響とも言えますが、「雄信内トンネル」で抜けた台地の東側が崖のようになっていて、そこを「ペンケビラ」と呼んだことも関係しているのだと思われます。つまり、ここで言う「弁慶」も、広い意味でのアイヌ語地名と言えそうです。
下国根府、下国根布、下コクネップ
更に東に進むと、今度は「下国根府」というところにやってきました。地理院地図では「下国根布」となっていて、またカタカナで「下コクネップ」と書く流儀もあるようです。これもアイヌ語に由来する地名なのでしょうね。道道 395 号「問寒別停車場下国府線」その交叉点が近づいてきました。そう言えばここも十字路の筈ですが、青看板では T 字路になっていますね。
旭川まで 172 km、名寄まで 95 km、そして音威子府まで 43 km と記された脇に「↑中川 11 km」の小さな看板が。位置的には中川町に入った直後の青看板なので「中川まで○ km」という表示は入れにくいのですが、中心部まで 11 km あるという情報をどうしても入れたかったのでしょうね。
ちなみに、このあたりは「中川町国府」というところですが、元々は「上コクネップ」だったとのこと。天塩町は「コクネップ」という音を残しましたが、中川町はあっさりと和風の「国府」という地名にアレンジしてしまったようです。
旅ゆけば、いつも雷注意報
左折して「歌内橋」で天塩川を渡ると「歌内」の集落があり、JR 宗谷本線の「歌内駅」にも行けるようです。「上川北部雷注意報発表中」と出ていますが、そう言えば道内に上陸した際に、結構な確率で「雷注意報」が出ているような気がします。なんか毎日のように出てるんじゃないかという印象すらあるのですが、いかがでしょう?
市街地は川の向こう側
国道 40 号は天塩川の左岸を通ってきましたが、この先はしばらく天塩川の堤防上を通ることになります。中川町の市街地は天塩川の右岸にあるので、市街地に向かうには左折して橋を渡ることになります。左折すると「中川橋」を渡って天塩中川の市街地です。またしても LED 信号が消えたタイミングで写ってしまいましたね。
ここで再び旭川・名寄・音威子府までの距離の確認です。旭川まで 172 km だったのが 161 km、名寄まで 95 km だったのが 84 km に縮まりました。お隣の音威子府までは 33 km ありますが、まぁ、たった 33 km とも言えますね(色々と感覚がおかしくなってる)。
中川町誉の「誉大橋」
国道 40 号と中川の市街地を結ぶ橋は、天塩中川駅の北と南にそれぞれ一つずつあります。次の信号を左折すると、南側の「誉大橋」です。「誉大橋」は、このあたりの地名「中川町誉」に由来するのでしょうね。地名そのものの由来については、また追々と調べてみようと思います。
「誉大橋」のすぐ南には「道の駅なかがわ」があります。ここは美深町の道の駅と同じく、三日月湖に囲まれた中にあるのですが、三日月湖絡みの土地は入手が比較的容易だったりするのでしょうか……?
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