(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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早苗別川(さなえべつ──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
江別駅の南東で千歳川に合流する支流の名前です。現在は放水路が建設済みで、千歳川の上流側(道央道・千歳川大橋の 500 m ほど北)で合流するようになっています。明治時代の地形図には「サノユペ川」と記載されています。また、永田地名解には次のように記されていました。
Sano yube サノ ユベ 下ノ鮫川 「サノ」ハ「サノプト」(下方ノ口)ノ「サノ」ニ同シなお、永田方正は「江別」を「ユベ オッ」(Yube ot)と考えていたようです。つまり、「サノ ユベ」は「ユベ」(=江別)の亜流であると見ていたのでしょうね。san-o-{yupe} で「出る・その尻・{江別}」と解釈できそうです。
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、永田地名解とともに別の解釈も記されていました。
早苗別(さなえべつ)
永田地名解では、もとサノユベで、川下の鮫川とあり、知里博士の『地名アイヌ語小辞典』に「さノプッ」は、浜の方の川口とある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.105 より引用)
ということなので、「──小辞典」の記述も見ておきましょうか。san-o-put, -i/-u さノプッ 浜の方の川口。例えばキタミ国アバシリ川(原名 Rinnay〔汐入川〕はアバシリ湖によって中断されているので川口が二つある。その浜の方の川口にあった部落を Rinnay sanoput-un-kotan (リンナイの浜の方の川口の村)と云った。[san(浜にある)o-put(川口)]あれっ、江別の「早苗別」の話は特に出てきませんね。あれれっ?
知里さんの「さノプッ」説は「北海道地名誌」でも紹介されていました。
(通称)早苗別 (さなえべつ) 早苗別川からでたもので,もとサノユベで「下ノ鮫川」(永田方正『蝦夷語地名解』)とあり,知里真志保『地名アイヌ語小辞典』はサノプツで,「浜の方の川口」とあるが,いずれも納得しがたい。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.41 より引用)
「納得しがたい」と言いつつちゃんと紹介してくれるあたり、良心を感じますね。「江別」の解釈自体が「諸説あります」状態なので続けづらいところもあるのですが、少なくとも san-o- は永田地名解と知里さんで解釈が概ね一致しているように思えますし、san-o-{ipe} で「浜の方・そこにある・{江別}」と考えていいのではないでしょうか。
トマン別
(典拠あり、類型あり)
野幌森林公園の東側、道道 46 号「江別恵庭線」沿いの地名です。地名は「トマン別」となっていますが、集落の南側を流れる川は「登満別川」となっています。更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されています。
登満別川(とまんべつがわ)
江別川の支流。トマム・ぺッのなまりで、湿地の川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.105 より引用)
まぁ、普通はそう考えますよね。ただ「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「トマンホヲマナイ」と言う名前の川が描かれています(「由宇発利日誌」にも「トマンホヲマナイ」との記述あり)。nay が pet に化ける(またはその逆)は時折ある話なので良いのですが、問題は「ホ」の存在です。改めて知里さんの「──小辞典」を眺めてみたところ、ho は o と同じく「尻」や「陰部」と解釈できるようですので、「トマンホヲマナイ」は tomam-ho-oma-nay で「湿地・端・そこに入る・川」と読み解けそうな感じでしょうか。
なお、永田地名解には「トマㇺ パ オマ ナイ」で「吥坭ノ上方ヲ流ル川」とあります。ho が pa の間違いなのだとしたら、この解釈で良さそうですね。
志文別(しぶんべつ)
(典拠あり、類型多数)
江別市トマン別の南、江別市のほぼ南端のあたりの地名です。北広島市との境界の近くに同名の川も流れています。永田地名解には次のように記されていました。
Shupun pet シュプン ペッ 桃花魚(アカハナウグヒ)ノ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.39 より引用)
supun-pet で「ウグイ・川」と考えて良さそうです。同型の地名が道内各所にあるので「あれ、聞いたことあるな」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。「アカハナウグヒ」はちょっと目新しい感じもしますが……。www.bojan.net
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