2019年6月29日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (642) 「篠路・茨戸・伏籠川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

篠路(しのろ)

sum-woro?
鍋・水に浸す
sino-or-o??1
本当に・水・多くある
sin-not-oro??2
土地・岬・のところ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(??1 = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)(??2 = 典拠なし、類型あり)
札幌市北部の地名で、同名の駅もあります。ということで今回も「北海道駅名の起源」を見てみることにします。さぁ元気よく参りましょう!

  篠 路(しのろ)
所在地 札幌市
開 駅 昭和 9 年 11 月 20 日
起 源 アイヌ語の「シノロ」からとったのであるが、その意味は不明である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.51 より引用)
世間の厳しさを改めて実感する今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

では、気を取り直して伝統と信頼の永田地名解を見てみましょう。

Shinoro  シノロ  ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.34 より引用)
世の中の世知辛さに心が折れそうになる今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

二度あることは……という話もありますが、気を取り直して「札幌地名解」を見てみましょう。

『篠路村史』(昭和三〇年)によると「スウォロ」(鍋を浸しておく所)からきているという。
(札幌市教育委員会・編「札幌地名考」北海道新聞社 p.53 より引用)
おっ、久しぶりに「困った時の鍋頼み」が来ましたね! sum-woro で「鍋・水に浸す」と解釈できそうですが、果たして地名として適切であるかと言われると……若干びみょうかもしれません。実際、「札幌地名考」も次のように続けています。

しかし、多くの文献では意味不明となっていて確説がない。
(札幌市教育委員会・編「札幌地名考」北海道新聞社 p.53 より引用)
そうなんですよねぇ。

山田秀三さんは「北海道の地名」にて次のように記していました。

 篠路はもちろんアイヌ語からの名であろうが意味が全く分からない。さすがの永田地名解もただ ? 印をつけただけである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.25 より引用)
さすがの山田さんもお手上げ気味ですが、次のような試案を出してくれていました。

全くの参考に語呂合わせをして,shino-or-o「ほんとに・水が・ある(処,川)」とも考えたが,これはただの研究案である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.25 より引用)
sino-or-o で「本当に・水・多くある」と言う案ですが、なるほど、そう解釈することも可能なのかもしれません(ただ、あまり類型を見かけないような気もします)。

自分でも少し考えてみたのですが、「西蝦夷日誌」に「シンノシケゴトニ」という川が記録されていることに気がつきました。ここからかなり強引に想像してみたのですが、sin-noske-{kot-ne-i} が流れるところという意味で sin-noske-{kot-ne-i}-oro で「土地・真ん中・{琴似川}・のところ」という地名?があり、それが略しに略されて sin-oro になった、という可能性は考えられないでしょうか?

sirn の前に来ると sin に音韻変化します。ここで言う sinsir のことだとご理解下さい。

もう一つの案として、篠路川の流域(河口部?)に sin-not-oro で「土地・岬・のところ」と呼べそうな地形があり、「シンノッオロ」がやがて「シノロ」になったのではないか、という可能性も考えてみました。

どちらかと言えば sin-not-oro のほうが可能性がありそうかなーと思っているのですが、傍証が皆無なのがちと厳しいところです。あと「なんで『シノトロ』にならなかったの?」と聞かれるとちょっと唸ってしまいそうですね(アイヌ語ではリエゾンが発生しないケースも見かけるような気がするのですが)。

茨戸(ばらと)

{hacham}-para-to
{発寒(川)}・広い・沼
(典拠あり、類型あり)
札幌市北部の地名で、同名の川も流れています。創成川に沿って国道 231 号を北上するとやがて「茨戸大橋」で川を渡りますが、茨戸川の南側が「東茨戸」で、東茨戸の南西側が「西茨戸」です。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

 茨戸川が発寒川下流の別称であった。茨戸の地名はそれから出たようである。永田地名解は「ハチャム・パラトー。桜鳥川(発寒川)の広沼。パラトーは川口を云ふことあれども,此のパラトーは川流広がりて沼の如し。故に名く」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.27 より引用)
ふむふむ。確かに明治の頃の地形図を見ると、現在の「発寒川」のところに「茨戸川」と記されています。現在「茨戸川」として地図にあるのは石狩川の旧流のことなので、ある種の「移転川名」と言えるのかもしれません。

ということで、{hacham}-para-to で「{発寒(川)}・広い・沼」と解釈して良いかと思われます。

伏籠川(ふしこ──)

husko-{sapporo}-pet
旧・{札幌}・川
(典拠あり、類型多数)
かつて「茨戸川」と呼ばれていた現在の「発寒川」は、国道 231 号の「茨戸大橋」の東側で現在「茨戸川」と呼ばれている「旧・石狩川」と合流していますが、発寒川は旧・石狩川と合流する直前に「創成川」と「伏籠川」と合流しています。旧・石狩川には「発寒川」「創成川」「伏籠川」の三河川が一緒に合流している、と言えるかもしれません。

国道から見て伏籠川の向かい側に「東茨戸二条・東茨戸三条・東茨戸四条」の集落があり、その先に「篠路川」という川が流れています。現在の伏籠川はまっすぐ進んで発寒川と合流していますが、元々は篠路川のルートで直接旧・石狩川に注いでいたようです。

山田秀三さんの「北海道の地名」によると、現在の「篠路川」の河口のあたりが「サッポロブト」という地名だったとのこと。「札幌」という大地名の起こりは、篠路川の河口あたりの地形からだったのかもしれません。

ということで、山田さんの「北海道の地名」から少し引用しておきます。

サッポロブト(伏篭川口)
 現在の茨戸市街の少し東の処が伏篭川(篠路川)の川口で,茨戸の古老はサッポロブトの名を覚えていた。satporo-putu(札幌川・の口)の意。シノロブトともいう。永田地名解は hushko-satporo-putu(旧札幌川口)と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.26 より引用)
「伏籠川」は husko-pet で「旧・川」という意味です。永田地名解の記載からは、元は husko-{sapporo}-pet で「旧札幌川」と解釈されていたことが伺えます。ここで言う「札幌川」は現在「豊平川」と呼ばれる川のことで、江戸時代後期までは「豊平川」の下流側は「伏籠川」のルートを通っていたとされています。

つまり、洪水で豊平川のルートが変わり水量が減ったため、「旧河川」と呼ぶようになった……ということになりますね。江戸時代という「ちょうどいい時期」に流路の変更があったため、アイヌ語で「旧河川」という名前がつけられた、ということになります。

ちなみに、現在伏籠川の上流部に「伏古」という地名があります(札樽自動車道にも「伏古 IC」がありますね)。環状通沿いの「伏古公園」のあたりでは伏籠川は暗渠化されていますが、「暗渠化された旧河川」に由来する(であろう)地名が「伏古」というのはよく出来た偶然だなぁ……と思ったりします。

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