(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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発寒(はっさむ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
紅茶の産地として有名なところで、2011 年 4 月に「発寒区」として独立する予定だったことでも知られています(全部ウソです)。JR 函館本線に同名の駅があるので、まずはいつもの「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。……あっ、記載がありませんでした(汗)。それもその筈、発寒駅の開業も国鉄末期の 1986 年だったのでした。なんと星置駅よりも開業が後だったという……(汗)。
では気を取り直して。戊午日誌「東西新道誌」には次のように記されていました。
ハツシヤブ
川巾七八間、急流にして小石転太石川。朶麁(そだ)橋を架たり。
ハツシヤフは和語の訛りにして、土人是を呼ぶ時はハツチヤムと云也。ハツチヤムは桜鳥の如き小き島の事なりと。此川すじ其鳥多きによつて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.421 より引用)
永田地名解にも、ほぼこの解を追認する形で記載されていました。Hacham pet ハチャㇺ ペッ 櫻鳥川 櫻鳥多シ故ニ名ク松前氏ノ時「ハツサブ」ト訛リ石狩十三場所ノ一タリ今發寒村ト稱スhacham で「サクラドリ」だと言うのですが、hacham というのは謎な語彙のひとつで、永田地名解によると「発寒」のほかにも「厚沢部」や「葉散別川」も hacham に由来するのではないかとのこと。
ただ、「発寒」が「サクラドリ」であるという解釈に疑問を持つ人は少なくないようで、「札幌地名考」にも次のように記されていました。
発寒の名称はアイヌ語の「ハチャム・ペッ」で桜鳥川、ムクドリのいる川の意であるとも言われているが、なお疑問の多い地名である。
(札幌市教育委員会・編「札幌地名考」北海道新聞社 p.121 より引用)
また、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のようにありました。知里真志保博士は雑談の中で,ハッチャム←ハッ・シャム(hat-sam 葡萄の・傍)だったのではないかとの案を出した。考えて見るとハㇱ・シャム(has-sam 灌木の・傍)とも聞こえるが,
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.22 より引用)
ここまでは「新解釈の誕生」か、と俄然色めき立つところだったのですが、旧記には北海道内のところどころの地名に桜鳥が出て来るので,その説を一応とりたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.22 より引用)
さすがは山田さん、慎重でしたね。「発寒」一箇所だけならともかく、厚沢部なども含めて検討しないといけないですし、「サクラドリ」説をひっくり返すだけの傍証をこれから探すのも大変かもしれません。琴似(ことに)
(典拠あり、類型あり)
札幌市西区の地名で、JR 函館本線と札幌市営地下鉄東西線に同名の駅があります。ちなみに両駅は 700 m ほど離れているため注意が必要です。というわけで、今度こそ「北海道駅名の起源」を見てみましょう。
琴 似(ことに)
所在地 札幌市
開 駅 明治 13 年 11 月 28 日(幌内鉄道)
起 源 琴似はもと北海道大学付近の低地をさしたもので、原名の「コッニ」は、「コッ・ネ・イ」(くぼんでいる所)の意である。当初は簡易停車場として開業。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.39 より引用)
ということで、kot-ne-i で「窪地・のような・ところ」と解釈できそうです。「簡易停車場として開業」とありますが、Wikipedia にその実態が記されていました。当初は乗客があるときだけ旗の合図で停車する簡易停車場(フラグ・ステーション)で、駅舎は5月に6坪のものが建てられた。
(Wikipedia 日本語版「琴似駅 (JR北海道)」より引用)
19 世紀の時点で「オンデマンド停車」が実現できていたとはちょっとした驚きですね。JR 北海道も導入を検討してみてはどうでしょうか(既に検討してそうな気もしますが)。人名としての「琴似」
「琴似」は地形に由来する地名であることは間違いないのですが、同時に人名としても有名です。山田秀三さんの「アイヌ語地名を歩く」に紹介されているので、少し引用してみましょう。永田地名解(明治二十四年)の中に『コトネイ土人又一郎は云ふ』などと書かれ、また時に名は挙げなくても、その説らしいものが処々に出ている。その又一郎は琴似又市さんのことであったらしい。
(山田秀三「アイヌ語地名を歩く」草風館 p.206 より引用)
この「琴似又市さん」ですが、なかなかのやり手だったようで、もともとのコトニは札幌の北一条から植物園、北海道大学にかけての地名。琴似又市はそのコトニの族長。石狩番屋で働いていて日本語はできるし、地方アイヌの頭目。札幌の開府に当たっては率先して協力したという。和人に伍して堂々とやっていたらしい。
(山田秀三「アイヌ語地名を歩く」草風館 p.206 より引用)
「石狩番屋で働いて」というのは、当時の和人とアイヌの力関係を考えるとやむを得ないところですが、その中でも「和人に伍して堂々とやっていた」というのは大したものですよね。つまり生え抜きの札幌人、アイヌであって札幌市民第一号とでもいうべき人であった。だから永田地名解の場合も、何かと意見を聞かれたのであろう。
(山田秀三「アイヌ語地名を歩く」草風館 p.206 より引用)
道内最大にして日本有数の大都市になった札幌ですが、その黎明期を語る上では忘れてはならない人物のひとりなのかもしれません。小別沢(こべつざわ)
(典拠あり、類型あり)
札幌市西区の南東部の地名です。ジャンプ台で有名な大倉山の西に位置します(山の向こうですが)。早速ですが「札幌地名考」を見てみましょうか。地名の由来は、アイヌ語の「ク・オ・ペッ」(仕掛け弓をおく沢の意)で、先住民の狩猟の場であったらしい。
(札幌市教育委員会・編「札幌地名考」北海道新聞社 p.122 より引用)
ほー、なるほど。ku-o-pet で「仕掛け弓・ある・川」なのですね。「クオペッ」が「こべつ」になって、本来の意味が忘れられた後に「沢」が追加された、と言った感じでしょうか。琴似川の支流にも「ヨウコシベ」という川があり(円山公園のあたりではないかとのこと)、これは yoko-us-pet で「狙う・いつもする・川」だったようです。200 万人弱が暮らす北の大都市も、かつては狩猟地だったことが良くわかります。
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