「羽幌炭礦鉄道病院」がかなり朽ち果ててしまったのに比べると、この貯炭所は当時の姿を良く留めている……のかな、と思ったりもしたのですが……
当時の写真と比べてみると、現在残っているのは土台部分だけということがわかります(逆アングルですいません)。
ここから暫くは道道 356 号「築別炭砿築別停車場線」(道道 741 号と重複区間)です。初山別に向かう道道 612 号「築別天塩有明停車場線」の案内がありますが、道道 612 号は通行止めのため通ることはできません。この区間は未開通区間ではありませんが、通年通行止めとのこと。事実上の廃道に向かいつつある、ということでしょうか。
第五築別川橋梁(橋桁のみ)
道道 612 号も通行止めだったので、道道 356 号で羽幌町曙に戻ります。往路では気づかなかったのですが、築別川に橋脚が残っていました。羽幌炭礦鉄道の「第五築別川橋梁」の橋脚のようです。羽幌炭礦鉄道は全線廃止されてから 45 年が経過していますが、ここも橋脚が撤去されずに残っていました。第一・第二・第三築別川橋梁は橋脚のみならず橋桁までそのまま残っていましたが、第五築別川橋梁は橋脚しか残っていません。
今となっては信じがたい話ですが、国鉄深名線の朱鞠内駅と国鉄羽幌線の羽幌駅を結ぶ「名羽線」(めいうせん)という計画路線があり、実際に工事が進められていました(曙から三毛別の間は羽幌炭礦鉄道が貨物線として借り受けて、実際に貨物列車などが走っていたようです)。
第五築別川橋梁の橋桁が現存しないのは、もしかしたら「名羽線」の開通にあわせて第一・第二・第三築別川橋梁に転用しようとした……とかだったら面白いのですが、実際のところはどうだったのでしょうか。橋脚の径間を考えると、第一・第二・第三よりは立派な橋桁だったんじゃないかなぁ……と想像できそうなのですが。
第四築別川橋梁
「第一・第二・第三」と「第五」があったということは、もちろん「第四築別川橋梁」もありました。「第四──」も道道から見える場所にあったのですが、往路では見落としていたようです。「第四築別川橋梁」は、「第五──」とは違って橋桁まで撤去されずに放置……いや、残っていました。
このあたりは築別川が北側に張り出す形で大きくカーブしていて、川の北側には山が迫っていたこともあってか、築別炭砿鉄道はわざわざ二度も川を渡るルートを取っていたようです。
350 m 程度のトンネルを掘るという選択肢もありそうな感じもしますが、工期を考えるとトンネルを掘るのは無理と判断したのかもしれませんね。
このあたりの築別川は、下流部のように土砂混じりの水が大量に流れると言ったことは無く、穏やかに流れていました。
自宅前バス停
では、そろそろ車に戻ることとしましょう。走る車が皆無なのをいいことに、あまり端に寄せずに車を停めちゃってました。すいません。道内ではちょくちょく見かける個人宅名を冠したバス停が、羽幌町にも存在していました。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿