ここも「春水橋」と同じく、「羽幌炭礦鉄道」の鉄橋跡(第三築別川橋梁)を見ることができます。「『第一』の次が何故『第三』なんだ、『第二』はどうした」と訝しむ方もいらっしゃるかもしれませんが、「第二築別川橋梁」は「春水橋」と「勤倹橋」の間にある「鶴亀橋」から姿を眺めることができます。
何故写真がないのかと言うと……車を停め損ないまして……(汗)。道道 356 号に限った話ではありませんが、意外と車を停めるのにいい場所って無かったりするもので。
第三築別川橋梁(リサイクル品)
ということで「羽幌炭礦鉄道」の「第三築別川橋梁」です。時代背景的にはなるべく金属を使わずコンクリートアーチ橋を建設しましょう……というタイミングでしたが、工期短縮も必要だったのか、ごく一般的な鉄橋として建設されています。まぁ、ごく一般的な鉄橋だと橋桁のサイズがマチマチだったりすることはあまり内のですが、ここはご覧の通り、径間もサイズもマチマチです。これは中古品の橋桁を掻き集めたからだったようですね。
橋桁のサイズ違いは橋脚側でうまく調整して、高さに違いが出ないように工夫しています。
「第三築別川橋梁」の東側は極端に径間が短く、また橋脚の形も見事にバラバラです。真ん中の橋脚は後で適当に追加したかのようにも見えてしまいますね。
羽幌太陽高等学校(跡)
再び道道 356 号「築別炭砿築別停車場線」を東に向かうと、左手に体育館のような建物が見えてきました。この建物ですが、「羽幌太陽高等学校」という高校の跡だったようです(ちなみに隣に「曙小学校」があったようです)。「太陽」という名前の廃校は日高の新冠にもありますが、ここ羽幌の「太陽」は鉱山を所有していた「太陽曹達」に由来する……のでしょうか。
道道 356 号の今昔
築別川の手前を左折して、引き続き道道 356 号で築別炭砿に向かいます。左折が必要になったのは近年の改良の結果のようで、羽幌炭礦鉄道があった頃は、道路は踏切で羽幌炭礦鉄道を横切った後、ちょっと深めの左カーブを描いていたようです。道路と鉄道がこのように通っていたものが……
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
現在はこのような形に付け替えられています。「一部」「不通」「通り抜け出来ません」
左折して道道 356 号(道道 741 号と重複区間)を進むと、「一部」「不通」との道路情報が。そしてその直後には「道道 741 上遠別霧立線」「この道路は通り抜け出来ません。」という案内が。
「一部」「不通」はいつでも差し替えができる構造ですが、「この道路は通り抜け出来ません」のほうは絶対的な事実として「通り抜けできません」ということをアピールしていますね。実際にこの先の道道 741 号には未開通区間があり、どう頑張っても通り抜けは不可能なのですが。
築別炭砿の突然の閉山(1970 年)から 45 年が経過して、当時の賑わいは失われたかもしれませんが、今でも道路沿いには農業を営む方(と思います)の家がところどころに見られます。
道道 356 号が山と川の間の狭隘な区間に入る直前に「交通遮断機」がありました。荒天時はこの先を通行止めにするための遮断機ですが、もしかしたらこの先は通年居住者が居ない、ということなのでしょうか……?
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