2019年5月31日金曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (41)「焼尻島散策・終わりはいつも突然に」

焼尻島の「もう一つのメインストリート」を歩いていて、こんな建物を見かけました。もしかしたら個人宅かもしれませんが、そうだったらすいません(まぁ建物の外観は Google ストリートビューで丸見えという話もありますが……)。
手前に見えている部分(1 階部分)が斜めになっているのが目を引きますが、これ、よーく見たら船を模した構造のような気が。そう考えるとかなり良くできたデザインに思えるのですが、いかがでしょう?

かつてのメインストリート

このまままっすぐ歩けば「羽幌町役場 焼尻支所」などがあります。大正十一年測量の地図を見ても「焼尻村役場」が同じ位置にあることが確認できます。当時は「工兵街道」に相当する道が無く、東浜(コタン)から豊崎(レフトロ)、西浦(ヲネトマリ)方面に向かうには役場の前から(今回歩いた)「もう一つのメインストリート」を北に向かう必要があったようです。

便宜上「もう一つのメインストリート」という通称で呼んでしまっていますが、本来は役場の前のこの道が島を一周するメインストリートだったんですよね。

ハートの坂道

役場(現在の「焼尻支所」)に向かうとフェリーターミナルから遠ざかってしまうので、フェリーターミナルに向かう坂道を降りることにしました。コンクリートで舗装されているのですが……
よーく見ると、一定の間隔でハートマークが描かれていました。OpenStreetMap には「ハートの坂道」と記されています。これは確かに「ハートの坂道」と呼ぶしか無いような感じも……。
「ハートの坂道」を降りた先は、道道 255 号と道道 866 号の起点の交叉点です。この、かなり広い交叉点のところです。
まわれ右をすると、「ハートの坂道」が見えます。この坂道ですが、「もう一つのメインストリート」とつながっているだけではなく、実は更にまっすぐ進めば厳島神社の鳥居の前に出ることができます。
鳥居の前を横切る形で更にダート路が伸びていて、最終的には「焼尻発電所」の近くで道道 255 号と合流しています。どうやら東浜(コタン)から豊崎(レフトロ)に向かう、一番古い道だったように見受けられます。急勾配を物ともせず、とにかく最短距離を志向するルート選定はアイヌの流儀にも合うものです。

階段でフェリーターミナルへ

道道 255 号と道道 866 号の交叉点から、フェリーターミナルに向かう最短ルートである階段を降りることにしました。
階段を降りた先は排水溝に沿って歩きます。本来は歩道がある筈なのですが、夏草が元気いっぱいで歩道らしきものが見えなくなっています。

終わりはいつも突然に

ふらふらと歩き回ること 90 分ほど、今から思えば記念碑あり発電所あり小中学校ありでかなりいい拾い物をしたような気もしますが、ついにフェリーターミナルに戻ってきてしまいました。時間は午後 2 時まであと数分と言ったところで、羽幌行きの高速船「さんらいなぁ 2」の出発までまだ 90 分以上あります。
その割に妙に人が多いなぁ……と思っていたところに、なんと羽幌行きのフェリー「おろろん 2」が入港してきたではありませんか!
羽幌行き「おろろん 2」の出港は 14:05 とのこと。あわてて乗船券売場に向かい、「さんらいなぁ 2」の予約を取り消して「おろろん 2」の乗船券を購入したのでした。

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2019年5月30日木曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (40)「焼尻島散策・島で唯一の信号機編」

道道 255 号「焼尻島線」を散歩すること 1.4 km ほど、「焼尻小中学校」にやってきました。割と新しそうな小学校の校舎があり、割と歴史のありそうな体育館と中学校の校舎が横に並んでいた……というのは昨日の記事でも記したとおりです。
小中学校の敷地にはこんな懐かしいものも。この形の郵便ポストは、昔はちょくちょく見かけたものですが、最近は目にすることが本当に少なくなりました。

島で唯一の信号機

そして、小中学校の前には島でたった一つのこんなものが。そう、信号機です!
離島は概して車の数が少ないために、信号機の需要も乏しいのですが、小さい頃から信号機に慣れる機会を設けるために、意図的に信号機を設置するケースがあると聞きます。ここは学校の前で、しかも東側には長い下り坂もあるので、安全面からも信号機の設置が望ましい場所ではありますが、やはり教育目的もあるのでしょうね。
この信号機は、いわゆる「押ボタン信号」なのですが、最近のボタンはタッチセンサー式なんでしょうか。「おしてください」が「ふれてください」になっていますし、ボタンのあった場所には点字つきのスイッチが。

工兵街道跡

フェリーの出発にはもう少し時間がありますが、歩きすぎてフェリーターミナルに戻る体力が尽きたりしたら大変なことになりますので、そろそろ戻ることにしましょう。最初にして最大の難関が、この上り坂です。
坂を下っているときには気づかなかったのですが、海側に旧道の跡が残っていました(Google Map でも確認できますね)。どうやらこの旧道が「工兵街道」の跡、と考えて良さそうです。
ということで、道道 255 号と山手にあるもう一つのメインストリートとの交叉点に戻ってきました。

「もう一つのメインストリート」を歩く

同じ道を戻るのも芸がないので、ここから先は山手の「もう一つのメインストリート」を歩いてみることにしましょう。
上り坂の脇にはこんな鉄塔が立っていました。これは携帯電話の基地局とかでしょうか?
「厳島神社」の参道と交叉する十字路にやってきました。ここもあじさいの花が咲き誇っていますが、面白いことに、2014 年に撮影された Google ストリートビューでも似たような感じであじさいが咲いているのが確認できます。

あらこんなところにポップ体

あじさいの向こうに見える建物が「焼尻総合研修センター」なる建物です。
この「焼尻総合研修センター」は高台にあることもあり、災害時の避難所としても機能しています。
そして、道路を挟んで向かいにある赤い屋根の建物は「焼尻体育館」とのこと。
今頃気づいたんですが、これってもしかして「創英角ポップ体」では……?

庚申塔?

道路脇には「七庚申」という字が刻まれた石碑が。これは「庚申塔」と呼ばれるものなんでしょうか。
北海道の離島にも、こういった江戸時代に始まった風習が伝わっているというのは、少し意外な感じがしました(鳥居が多いのは気づいていましたが……)。

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2019年5月29日水曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (39)「焼尻島散策・焼尻発電所編」

「工兵街道記念碑」を後にして、道道 255 号に戻ります。記念碑から豊崎集落に向かう道は長い下り坂となっています。
道道を通すために左側の崖を大きく削っていますが、最初にこの崖を削ってルートを開拓したのが焼尻島に駐屯していた工兵部隊だっだ、と言うことみたいですね。

焼尻発電所

坂を下った先の海側(北側)に、ちょっと気になる建物を見かけました。
幸いなことに、建物の正体に思いを巡らせる必要は無かったようです。建物の前に「北海道電力株式会社 焼尻発電所」と記された看板が建てられていました。天売では発電所を見かけた記憶が無いのですが、この距離ですから、海底にケーブルを這わせているのかもしれませんね。
建物の横には燃料タンクがありました。この手の燃料タンクとしては割と小ぶりにも見えますが、それでも相当な容量があるのでしょうね。

焼尻小中学校

続けて、今度は山手に学校が見えてきました。焼尻島には大きく 4 つの集落があって、最も人口が多そうなのがフェリーターミナルや役場支所のある「東浜」地区で、続いて島の北西部にある「西浦」地区がそれに続く感じでしょうか。灯台のある「白浜」地区は、それほど人口が多そうには見えません。
ここ「豊崎」地区もそれほど人口が多そうには見えないのですが、「西浦」地区と「東浜」地区の間にある地の利を生かしてか、小中学校が設置されています。東側にあるこの建物には「焼尻小学校」と記されています。
「焼尻小学校」と記された建物の隣には体育館があります。門の左右にはそれぞれ「羽幌町立焼尻小学校」と「羽幌町立焼尻中学校」と記されています。
そして右側にも建物がありますが……
「幌」の字が取れているのはご愛嬌ですが、「焼尻中学校」と記されています。
左側の文字は意図的に消されているように見えるのですが、もしかすると元々小学校と中学校が共同で使用していた建物で、現在は中学校だけが専有しているということなのでしょうか。
現在は「焼尻中学校」の建物になっていると思しき西側(右側)の校舎ですが、建物には中学校と小学校の校章が並んでいるようでした。

「以徳報徳」

敷地(駐車場)の一角には手作り感満載の花壇がありました。もしかして、児童や生徒が世話をしているのでしょうか?
そして、花壇の近くで異彩を放っていたのがこちらの台座です。おそらく何かが上に乗っていたのだと思いますが、取り外されてしまっています。
よーく見ると、台座には「以徳報徳」という、どこかで見かけたことがあるような文字が。
別アングルから見やすいように撮影し直してみました。「一木喜徳郎」という文字が見えます。一木喜徳郎は「報徳思想」の啓蒙に尽力した人物ということで、となると台座の上にあった像が「二宮金次郎」のものであった可能性が高そうに思えます。
既に台座の上の像(と思われる)が無いばかりか、台座の銘板も取り外された形跡があります。真っ先に考えられるのが戦中の金属供出ですが、果たして真相は……?
でも、もしこれが戦中の金属供出の成れの果てなのであれば、このまま像と銘板の無い台座だけがずっと残されているというのも十分価値がありそうな気もします。「総力戦」を指導した時の権力者がどれだけ愚かであったのかを、主を失った台座は静かに語ってくれていますので。

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2019年5月28日火曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (38)「焼尻島散策・工兵街道記念碑編」

道道 255 号「焼尻島線」を反時計回りに歩きます。海沿いに例のオロロン鳥のオブジェが見えますね。

あじさいの花と小さな坂道

道道 255 号の 30 km/h 制限は集落の外れで終わっていました。まぁこれだけちゃんと整備された道ですから、60 km/h 制限が妥当ですよね。
「30 km/h 制限終了」の標識の近くでも、あじさいの花が咲き誇っていました。
そして、軽自動車が通るので精一杯くらいの幅の上り坂が続いていました。焼尻港のある東浜集落は、海沿いにありがちな道路沿いに線形に発達した集落ではなく、山手にもう一本のメインストリートがあり、東向きの斜面に面的に広がっています。このあまり広くない坂道は、山手のメインストリートに向かうためのものです。
この集落立地が自然発生的なものなのか、あるいは集落の高台移転のような計画的なものなのかは不明ですが、仮に計画的なものだったとしても、かなり歴史の古いもののように思われます。
あじさいがいい具合に開花していたので、光の加減などあまり考えずに接写してみました。

アイテム貯蔵庫?

雲ひとつ……ありますが、めちゃくちゃ晴れ渡った夏空の下を歩きます。日焼けがどんどん進みますね……(汗)。
道路脇には背の高い草に囲まれた LPG 貯蔵庫が。なんか最近の RPG とかに出てきそうな佇まいですよね。でもなんでこんなところに離れて貯蔵されているのでしょう。
マンホールは留萌土木現業所のオリジナルデザインのようでした。時計台と道庁を足して 2 で割ったような建物に見えますが、これは実際には何をモチーフにしたものでしょう?

山手のメインストリート

海側に、なかなか立派な石碑が見えてきました。自転車に乗った先客の方がいらっしゃるようです。
石碑(記念碑)に向かう道が伸びている交叉点にやってきましたが、面白いことに石碑(記念碑)の案内はありません。2014 年に撮影されたストリートビューにはこの案内は存在しないようなので、つい最近(と言っても 2015 年ですが)設置されたもののようですね。
ちなみにこの案内のある交叉点を左折すると「役場支所/診療所」に向かうことができる……とありますが、この道が、先程記した「山手のメインストリート」です。

工兵街道記念碑

道道 255 号を離れて、石碑を見に行きましょう。島の西の海には天売島も見えます。
「工兵街道記念碑」と記された石碑がありました。近くで見てみると、随分と立派な石碑であることがわかります。
この石碑自体は戦後になって建てられたもののように見えますが、このあたりの道道 255 号(の旧道)が、戦中に焼尻島に駐屯していた工兵部隊によって建設されたことを記念する碑、なのだそうです。
工兵さんによって建設されたので「工兵街道」ということで、この手のネーミングとしてはかなり穏当な部類に思ったりします(それほど詳しいわけではありませんが、道路建設には過酷な労役を強いられたケースも少なからずあったと思いますので)。

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