(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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タモニナイ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
国見峠の東を流れる川の名前です。「ねこバス」のある「戸外炉峠」の東側、と書けば「ああ!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。このタモニナイ川はケナシハオマナイ川の西隣を流れていますが、この両河川の間は 400 m 程度しか離れていません。「タムニ」という記録
「東西蝦夷山川地理取調図」には「タムニ」という名前の川が描かれています。また戊午日誌「登加知留宇知之日誌」にも以下のように記されていました。こへて
タ ム ニ
此処また少しの岡に成る山なり。山は笹原のよしなり。爰より亥子の方えウリウ山よく見ゆる。十三四丁も過て
ケナシバヲマナイ
此処また小川有。巾五六尺。上は峨々たる高山に成り、其下は平に成る也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.123 より引用)
このあたりの「登加知留宇知之日誌」には、「ヲトエボケ」「シイベヌカルシ」「タムニ」「ケナシバヲマナイ」「ヒラノスケヲマナイ」と言った名前の川が記録されています。「タモニナイ川」と「ケナシハオマナイ川」の位置関係
「ヒラノスケヲマナイ」が現在の「出合沢川」であることがほぼ確実な情勢で、また「ヲトエボケ」が現在の「音江川」である可能性も高そうです(これには若干の疑義もあります)。ですので東から見て「ヒラノスケヲマナイ」(=出合沢川)、「ケナシハオマナイ川」、「タモニナイ川」が並んでいる……と考えるのが自然なのですが、そこで問題となるのが「登加知留宇知之日誌」の「十三四丁も過て」という一文です。距離の単位としての「1 町」は約 109.1 m ですから、「十三四丁」は「約 1.4 km から 1.5 km ほど」ということになります。「タモニナイ川」から「ケナシハオマナイ川」までは前述の通り 400 m 程度しか離れていませんから、計算が合わないことになります。
この点は、山田秀三さんも「深川のアイヌ語地名を尋ねて」で次のように指摘していました。
明治三十年図には国見峠(旧道)を東に下った処にタモニナイと書いてあるが、すぐその先がケナシパオマナイである。『十勝日誌』はその間が十五、六丁(『登加知留宇知之日誌』で十三、四丁)となっていて間が離れ過ぎている。この二つの川名の位置が、どっちかずれたのかもしれない。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.212 より引用)
そんなところかも知れませんね。改めて検討してみましたが、やはり「ヒラノスケヲマナイ」の場所は現在の「出合沢川」で動かせないような気がしますので、「タモニナイ川」の場所が誤っていたか、あるいは「登加知留宇知之日誌」の記述が間違っていたか、どちらかだろうと思われます。また、面白いことに「再篙石狩日誌」には「タムニ」の記載そのものがありません。
ヲトイホク
等も小川、左りの方に有。其辺惣て平地なり。少し上に
シヘヌカルシ
ケナシハヲマナイ
ヒラノシケヲマナイ
等右の方小川。其辺惣て平地にて地味至てよろし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.240 より引用)
「タムニ」はともすれば省略されてしまうような、小さな川だったということかもしれません。そして隣接する河川との位置関係を考えると、「タモニナイ川」も「ケナシハオマナイ川」も位置が大きくずれたとも考えづらいので、やはり「十三四丁」が何かの間違いだったと考えるのが正解に近いような気がします。そろそろ本題に
「タモニナイ川」と「タムニ」の同一性について字数を使ってしまいましたが、そろそろ本題に移りましょう。永田地名解には次のように記されていました。Tamo ni nai タモ ニ ナイ ? タモ網ニテ魚ヲ取リシ處ナリト云フ○第弐拾八號ノ橋まさかの和語・アイヌ語合体説ですが、さすがにそれは無いと感じたか、永田方正も「?」をつけています。
山田秀三さんも、永田地名解の記述を次のように評価していました。
このタモニナイとタムニは同じ川の名だと思われるが、意味は分らない。永田氏は古老の話を聞いたが、どうも変だと ? を付けたのだろう。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.212 より引用)
言葉の遊びをするなら、Tam-ni-nai(低い・木の・沢)の転訛と見れないこともないが、これは一応の語呂合せである。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.212 より引用)
なるほど。山田さんは tam は ram の訛った形ではないかと考えたのですね。ram-ni-nay で「低い・木・川」となるでしょうか。永田方正のインフォーマントが「タモ網」などと言う珍妙な解を出してきたもの、意図的にアイヌ語の解を隠蔽するためではなく、そもそも tam あるいは tamo の意味するところが不明だったから、と考えられそうです(tam は「刀」を意味しますが、地名ではあまり見かけない語彙です)。
知里さんの「植物編」や服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」などを眺めてみましたが、tam-ni をどう解したものか、答にはたどり着けませんでした。ということで、試案をいくつか並べておきます。
まず tat-ni で「樺の木」という語彙があり、これが訛ったと考えられるかもしれません。これだと {tat-ni}-nay で「{樺の木}・川」となりますね。
あと、yam-ni で「栗の木」と考えることもできます。{yam-ni}-nay では「{栗の木}・川」となりますね。
rarma-ni であれば「イチイの木」となりますね。
また、アイヌ語で「これ」を意味する指示代名詞に tan があり、千島方言では tam だった、という記録も残されています。松浦武四郎がインフォーマントに質問をして、インフォーマントが「この木は……」と言い淀んだのを地名と間違えて記録した……という事故の可能性も、一応記しておきます。
ナプサクトクサク川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
音江川の西を流れる川の名前です。道央道の深川 IC は、ナプサクトクサク川の上に設けられています。ぱっと見た感じでは「ナップサックが得策」であるようにも見えますが、さすがにこれは違いますよね(違いますね)。納内駅のあたりから石狩川に注ぐ「オサナンケップ川」という川があり、その支流で「トクポク川」が存在する……という話は以前にご紹介した通りですが、もともとは石狩川の南側、現在の深川市広里の南を「ト゚クポク」という川が存在していた……という話も記していたかと思います。「ナプサクトクサク川」は、この「ト゚クポク」(現在は音江川の分流という扱いでしょうか)の支流ということになります。
そろそろ「あ、これって……(察し)」となった方もいらっしゃるかもしれません。古い地図を眺めてみると、「ト゚クポク」の支流として「チエプサクトクホク」という名前の川が描かれていました。どうやら「チエプサクトクホク」が「ナプサクトクサク」に化けた……ということのようです。
「チエプ」は chep で「魚」を意味する語彙ですが、そもそもは chi-e-p で「我ら・食べる・もの」でした。似た語感の語彙に「チㇷ゚サンケ」でおなじみの chip(舟)があり、しばしばこの両者が混同されることがあったため、知里さんは「和人は舟を食う」という題名のエッセイでネタにしていたのでした。
「チエプサクトクホク」は chep-sak-{tuk-pok} で「魚・持たない・{ト゚クポク川}」と考えられます。このあたりは「イチャン」(ichan)などの魚に関係する地名が多く、たとえば前項に出てきた「シイベヌカルシ」も {si-ipe}-nu-kar-us-i で「{魚}・豊漁・採る・いつもする・ところ」と読むことができます(あるいは {si-ipe}-nukar-us-i で「{魚}・見る・いつもする・ところ」かも?)。そんな一帯にあって魚が上がらない川というのは、むしろ特筆すべき存在だったのかもしれませんね。
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