2019年3月27日水曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (6)「留萌の南北分断」

留萌市東雲町から小平町南部の臼谷にかけての話題です。

これは和む……

留萌から稚内に向かう国道 232 号(と、苫前から名寄方面に向かう国道 239 号の共用区間)に入りました。一段低いところを通っているので見づらいですが、左は JR 留萌線の線路です。
そして、左側の路肩が工事中らしく、単管バリケードが設置されているのですが……
なんなんでしょう、この和めるデザインは(笑)。動物をモチーフにしたものや、版権ものも見てきましたが、このラジオ体操風のデザインはめっちゃほっこりした感じが……。

留萌の南北分断

前方に、国道 231 号と国道 232 号の交差点が見えてきました。左折すると「ルルモッペ大橋」で、市役所方面や増毛・浜益・石狩方面に向かうことができます。
昨日の記事でも記しましたが、この「ルルモッペ大橋」は比較的新しいもののようで、国鉄羽幌線があった頃にはこの橋は存在していなかったようです。現在の「ルルモッペ大橋」から市街地に向かうルートを通すには、国鉄羽幌線と留萠本線のほかに留萌港に向かう貨物専用線?にも踏切を設ける必要があり、幾本もの線路をまたぐ踏切の設置は難しかったのかもしれません。
また、小平から留萌に向かうには、必ずどこかで留萌川を渡る必要がありました。前方に見えているのが「留萌橋」ですが、昭和のはじめにはもう少し海側に橋がかかっていました。

当時は現在の国道 232 号の場所を国鉄羽幌線が通っていた(国鉄羽幌線は留萌駅を通っていなかった)ため、現在の国道 232 号に相当する道路は存在せず、小平からの道路交通は留萌川の河口付近で川を渡り、留萌港の北側に出ていました。

ただ、留萌港の北側と、南側の市街地の間には港と貨物専用線、そして留萌本線が通っていたために道路を設置することができず、やむを得ず港の南北を渡し船で横断していたようです。実に興味深いことに、留萌の南北は鉄道と港湾で分断され、直通する道路が(国鉄羽幌線の移転までは)存在しなかったことになります。国道 232 号のルートは、国鉄羽幌線が移転してくれたおかげで唯一確保できたルートだったんですね。
国道 232 号は、留萌川の横で緩やかに右に曲がりながら小平に向かいます。このあたりも国鉄羽幌線の移転で捻出された区間なのかもしれません。さすが夏休みだけあってか、自転車で北に向かう人も目立ちますね。

オンタイム進行中

稚内まで 182 km、そして現時点でのゴールである羽幌までは 47 km となりました。この時点で 9 時を少し回ったくらいですから、あと 1 時間ほどで羽幌に着くことができそうです。目標を 10:30 到着としていましたが、ちょっと余裕ができそうな感じがしてきました。まぁ、遅れられない予定がある場合は、だいたいこんな感じでマージンを刻むのが常ではあるんですけどね。
今まではあまり気にしたことがなかったのですが、丘の上になかなか立派な灯台がありました。留萌港の灯台と言えば、2017 年 12 月に発達した低気圧の影響で倒壊したという話がありましたが、倒壊したのは港湾部の灯台で、この灯台ではありません。

豊多朱内橋

留萌市北部の三泊(さんどまり)というところにやってきました。「豊多朱内橋」とありますが、永田方正の影響が見られる地名の一つでしょうか。
「沿岸バス」のバスとすれ違います。今では「萌えっ子フリーきっぷ」などの独特のプロモーションで知られる会社ですが、需要が決して多いとは言えないエリアにおいてこれだけの路線網を維持できているというのは、かなり大したものだと思います。国道 232 号(や深川留萌道)を走っていると、結構な頻度ですれ違うんですよね。

「全国一 留萌のかずのこ」

留萌市三泊から、小平町臼谷を望みます。50 km/h 制限はここで一旦終了です。
右側の斜面に、毎度おなじみ「全国一 留萌のかずのこ」の看板が見えると……
間もなく小平町(おびら──)に入ります。何故カントリーサインが右側にあるのだろう……と思わないでもないのですが、左側に立ててしまうと冬場の暴風雪でサインが飛んでしまうとか、そういった事情もあるのかもしれません。

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