2019年3月24日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (617) 「ビラウシュケオマナイ川・キメチヤウシナイ川・ケナシハオマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ビラウシュケオマナイ川

pira-noske-oma-nay
崖・真ん中・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
道央道の「音江 PA」の 1 km ほど西を流れている、石狩川の南支流の名前です。「登加知留宇知之日誌」には次のように記されていました。

     ヒラノスケヲマナイ
小川有。此上の山、是え上るに樹木立原、此辺より椴の木多し。ヒラノスケヲマとは平と平との間に有ると云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.124 より引用)
あー、やっぱり「ビラウシュケ」は転記ミスの産物だった可能性が高そうですね。「ヒラノスケヲマナイ」であれば pira-noske-oma-nay で「崖・真ん中・そこにある・川」と読み解くことができます。

永田地名解にも次のように記されていました。

Pira noshke oma nai  ピラ ノシュケ オマ ナイ  崖中川 石狩川ノ左、断岸絶壁アリ其中央ニ主ク川○出合橋
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.66 より引用)
「出合橋」とは何ぞや? という話ですが、現在「国見」という名前の集落が、以前は「出會澤」という地名でした。国見のあたりを流れる川の名前は現在も「出合沢川」ですが、この川が本来の「ヒラノスケヲマナイ」だったようです。どうやらどこかのタイミングで名前を誤記されただけでなく、場所まで間違えられてしまったようですね。

なお、「ヒラノスケヲマナイ」が何故「出会沢」になったのかについては、山田秀三さんの「深川のアイヌ語地名を尋ねて」にこんな話が記されていました。孫引きで申し訳ありませんが、興味深い話なので引用しておきます。

 こんな辺鄙な処に、出会沢なんて粋な名がどうしてあるのだろうか。『音江村開村五十年史』(昭和二十九年)を読むと、「ピラノシュケオマナイ。明治二十五年三月一日から、滝川、永山(今、旭川市内)間の郵便路線が開始され、双方の里程概ね七里の本村ピラノシュケオマナイ川で郵便物の交換を行った。逓送人は双方共四時間四十分で必ずここに達する規程であったが、この出会う処が沢であるので出会沢と称し、遂にこの沢一帯を出会沢と呼ぶようになった」と書いてあった。面白い話である。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.213 より引用)
なんと、明治の頃の郵便輸送に由来する地名だったのですね。ちなみにこのあたりは石狩川が国道 12 号のすぐ脇まで迫る交通の難所として知られ、西の音江川方面に向かう国道は川沿いのルート確保を断念して「国見峠」を経由した、という話があります(現在は川沿いのルートが開通済み)。

神居古潭の難所を越えてきた逓送人と、石狩川沿いの難所を忌避して国見峠を越えてきた逓送人が「出会沢」で互いの郵便物を交換するというのは、なかなか良くできた規程だったのかもしれません。

キメチヤウシナイ川

kina-cha-us-nay
草・刈る・いつもする・川
(典拠あり、類型あり)
現在の「ビラウシュケオマナイ川」と「出合沢川」の間を流れる、石狩川の南支流の名前です。安易にキメちゃうと安穏な日常が失われるような金言にも思えますね(思えません)。

この「キメチヤウシナイ川」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「キナチヤウシナイ」と記されていました。「またか」という感じですが「ナ」が「メ」に間違えられてしまったようです。まぁこれは同情の余地もあるような気がしますが……。

永田地名解には次のように記されていました。

Kina cha ush nai  キナ チャ ウㇱュ ナイ  蒲ヲ刈リ取ル澤
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.66 より引用)
kina-cha-us-nay で「草・刈る・いつもする・川」と読み解けそうですね。なおこの解に対して、山田秀三さんは「深川のアイヌ語地名を尋ねて」で次のように補足を加えていました。

 キナ・チャ・ウㇱ・ナイは「草を・刈る・(いつも……する)・川」の意。つまり草刈場のことであった。なおこの形の地名に付て「永田地名解」は、よく蒲を刈る処と訳す。キナは「草」のことであるが、蒲(シ・キナ)はござを編むのに大切な草である。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.216 より引用)
ここまで読むと、ただ永田地名解の誤謬を指摘しているようにも見えますが……

ただ草刈場と云って、ござ用の蒲や菅を採る場所を呼んでいた場合も多かったようである。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.216 より引用)
kina-cha-us-nay は、本来は「草・刈る・いつもする・川」でしか無いのですが、実際には永田方正の言うように「蒲を刈る川」だった場合もある、というお話でした。

なおこの「キメチヤウシナイ川」こと kina-cha-us-nay ですが、現在「内園川」と呼ばれている川のことを指していた可能性がありそうです(あるいは現在の「ビラウシュケオマナイ川」のことである可能性もあります)。

ケナシハオマナイ川

kenas-pa-oma-nay
川ばたの木原・かみて・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
石狩川の南支流で、出合沢川と国見峠の間を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ケナシハヲマナイ」と記されています。このあたりの川にしては珍しく、大きな誤記もなく名前が残されているようですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Kenashi pa oma nai  ケナシ パ オマ ナイ  林川 直譯林ノ上方ニアル川○發會宴別(ハツクワイエンベツ)トアルハ非ナリ又「ワㇰカウエンペツ」ニテ惡水ナリト云フハ固ヨリ誤ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.66 より引用)
えーと、「ワッカウェンペツ」が「發會宴別」になったということなんでしょうか。久々にインパクトのある当て字を見たような気がします。

kenas-pa-oma-nay をどう解釈するかという話なのですが、山田秀三さんの「深川のアイヌ語地名を尋ねて」に良さそうな解説があったので、それに乗っかってみます。

 ケナㇱ kenash は土地により使い方が違うが、ここでは「川ばたの木原」(知里『小辞典』)であったろう。その木原のパ(上流側)を流れている川の意らしい。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.213 より引用)
ということで、基本的には永田地名解の解釈で良さそうな感じですね。kenas-pa-oma-nay で「川ばたの木原・かみて・そこにある・川」と解釈できそうです。

なお、この川について「大きな誤記もなく──」と記しましたが、山田さんによると次のような疑義があるそうです。

ただし、この川か、或はタムニの位置に疑問があることは前項に書いた。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.213 より引用)
現在、「ケナシハオマナイ川」の西隣を「タモニナイ川」が流れていますが、この両川の距離が「十勝日誌」や「登加知留宇知之日誌」の記載と合わないとのこと。このあたりは古い川名が残っていてありがたいのですが、本来の場所とは異なる川の名前に転用?されていることが多いので要注意ですね。

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