(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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内大部川(ないだいぶ──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
JR 函館本線の「納内駅」の南東で石狩川に合流する北支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」や「再篙石狩日誌」、また「登加智留宇知之誌」にも「ナイタイベ」と記されています。「ナイタイベ」を「川のチョウザメ」と解釈する流儀が広く知られていますが、初出は永田地名解のこの記述かもしれません。
Nai ta yube ナイ タ ユベ 川鮫 此川へ鮭入ルニアラズ本川絶崖ノ下ニテ鮫ヲ捕リ舟ニテ此川ヘ運ビ陸ニ揚ク故ニ此名アリこの解については知里さんもほぼ追認していたようで、「上川郡アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。
内大部川(ないたいべがわ) アイヌ語「ナイタイペ」(Náitaipe)。「ナイ・タ・ユベ」(Nai-ta-yupe 沢・の・蝶鮫)の義で,石狩川の絶壁の下で捕つた蝶鮫を舟でこの沢へ運び入れて陸へ揚げたのでこの名がついたという。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.314 より引用)※ 原文ママ
ただ、知里さんは次のような別解も併記していました。
或は「ナイ・エタイェ・ペツ」(Nai-etaye-pet 沢の・頭がずっと奥へ行っている・川)などの転訛か。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.314 より引用)
山田秀三さんは、深川市史に所収された「深川のアイヌ語地名を尋ねて」にて、これらの解に対して所感を記していました。永田氏の解はぴんと来ないが、外に考えようがない。知里さんも、それで一応その解をとり、別の試案を付けた。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.218 より引用)
「ぴんと来ない」というのは全く同感です。ただ、山田さんは知里さんが出してきた別案についても疑問を呈していました。その別案は、内大部川がこの辺のどれより長い川なので考えられたのかと思うが、他地の内大部川(天塩川筋及び十勝の音更川筋)はそんなに長い川でない。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.218 より引用)
「他地の内大部川」は、少し前にご紹介した士別市の「西内大部川」や、上士幌町の「ナイタイ川」のことです。確かにどちらも(そして今回の「内大部川」も)それほど長い川ではありません。そのため、少し無理なのではなかろうか。ほんとうは意味が分らないと書きたい地名である。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.218 より引用)
と考えていたようです。ただ、山田さんは知里さんの「頭がずっと奥へ行っている」という解釈にミスリーディングされたところがあるんじゃないかな、と考えています。etaye は本来は「引く」「引っ張る」という意味で、確かに「奥へ行っている」と捉えることもできるのですが、今回の場合は素直に「引っ張られている」と捉えられないだろうか、と考えています。
内大部川を遡ると「新城峠」にたどり着きますが、実際にはそこから東北東に向きを変えています。これを「頭」(nay-e)が「引っ張られている」(etaye)と捉えられないかなぁ……というのが、同名の川を含めて眺めてみた感想です。ということで、深川・旭川の内大部川についても、{nay-e}-etaye-pet で「{川の頭(水源)}・引っ張られた・川」ではないかなぁ……と。
ヌプリコマ内大部川(ヌプリコマないだいぶ──)
(典拠あり、類型あり)
新城峠にほど近いところで内大部川に合流する西支流の名前です。源流部が音江連山の稜線部にほど近いところにあるので、これまた nay-e-etaye と呼ぶに相応しい川なのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」でも「ヌフリコヤンナイタイベ」と言う川が描かれているので、本流としては認識されていなかったようです。知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
ヌプリコヤン・ナイタイペ(Nupuri-ko-yan-Naitaipe 山(エルムケップ岳をさすか)・の方へ・上って行く・内大部川)ナイタイペの右の枝川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『上川郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.314 より引用)
ああなるほど。nupuri-ko-yan-{nay-e-etaye-pet} で「山・そこに向かって・上がる・{内大部川}」と考えれば良いのですね。また、山田秀三さんは「深川のアイヌ語地名を尋ねて」にて次のように記していました(ソースが多いのはめっちゃ楽やなぁ……)。
現称ヌプリコマナイダイブは訛りかとは思われるが、或は Nupuri-ko-oma-Naitaipe(山・に向って・入っている・内大部川)の別称があったのかも知れない。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.219 より引用)※ 強調は原著者による
ああ、これももの凄く納得です。nupuri-ko-oma-{nay-e-etaye-pet} と呼ばれていた可能性も十分ありそうですね。「山・そこに向かって・そこに入る・{内大部川}」と解釈できそうです。
オロエン川
(典拠あり、類型あり)
新城峠からやや北(下流側)で内大部川に合流する東支流の名前です。「カムイスキーリンクス」のある「神居山」の南側を流れています。oro-wen{-pet} で「その中・悪い(・川)」だろう……と思っていたのですが、山田さんの「深川のアイヌ語地名を尋ねて」には次のように記されていました。
〔オロウェンベツ〕
東支流。オロウェンナイタイベとも呼んだ。今オロエン川とも云う。「松浦図」は西支流に、また今より上流に誤記している。松浦日誌の方は、東支流とはしているが、それでも川一本上流に持って行っている。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.218 より引用)
図らずも松浦図(東西蝦夷山川地理取調図)や松浦日誌(ここでは「再篙石狩日誌」)の不正確性が浮き彫りになりましたが……忙しい旅中で聞いた話なので間違えたのであろう。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.218-219 より引用)
さすが山田さん、フォローも怠りませんね。これは個人的にも全く同感です。これはインフォーマントが間違えた可能性も十分ある訳ですし。そして肝心の地名解ですが……オロ・ウェン・ペッ Oro-wen-pet(その中が・悪い・川)の意。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.219 より引用)
あ、やはり。oro-wen-pet で「その中・悪い・川」ということで、これは想定通りだったようです。オロウェンの付く川名が処々にあるが、たいてい川の中に岩が一ぱいあったりして、歩きにくい川である。この川は今でもそんな地形である。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.219 より引用)
あーなるほど。オロエン川は oro-wen-pet の典型的な例だったということですね。www.bojan.net
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