(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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岩尾内(いわおない)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
士別市東部、天塩川を堰き止めている「岩尾内ダム」のあるところの地名で、同名の川やダム湖もあります。知床には「岩尾別」というところがありますが、おそらく似たような由来があるのでしょう。音からは iwao-nay で「硫黄・川」と聞こえます(あるいは iwao-o-nay で「硫黄・多くある・川」だったのかもしれません)。
早速ですが、永田地名解を見てみましょうか。
Iwa-o nai イワオ ナイ 岩山ノ川あれっ、当てが外れましたね。確かに iwa-o-nay で「霊山・多くある・川」と読めます。山田秀三さんの「北海道の地名」にも、次のように記されていました。
永田地名解は「イワ オ ナイ。岩山の川」と書いた。イワはふつう「山」と訳されて来たが概ね独立山で,知里博士は霊山らしいといっていた。そんな山があったのだろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.151 より引用)
ふーむ。確かにそういう解釈もできますね。山田さんは「そんな山があったのだろうか」としていますが、岩尾内ダムの東に位置する 818.7 m の三角点のある山はなかなかの秀峰に見えますし、南の似峡(にさま)の市街地には「モイワ」っぽい山もあります(似峡の市街地は水没しましたが、「モイワ」っぽい山は今も水面上に出ています)。ただ、山田さんも iwao が「硫黄」である可能性が高いと考えていたのか、なお音だけならイワウ・ナイ(硫黄・川)とも聞こえる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.151 より引用)
まぁ、普通はその可能性を考えますよね。丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。
こへて
ト ワ リ
イワヲナイ
皆左りの方小川。此沢に硫黄多しと聞り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.118 より引用)
あ、やっぱり硫黄なんじゃないか……と思ったんですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「イワナイ」と記されていて、結局どちらの可能性も捨てきれないんですよねぇ。サックル川
(典拠あり、類型多数)
岩尾内湖(=天塩川)の東支流の名前です。大正 11 年測図の陸軍図では「柵留川」と記されていて、サックルを源流部まで遡った先には「柵留山」も存在します(山名は今も漢字のまま)。由来は sak-ru で「夏・路」と考えて良いのでしょうね。士別(朝日)から滝上に抜ける道としては、藻瀬狩山のすぐ南を「上紋峠」が通っていますが、仮にこの区間を「歩いて越える」のであれば、サックル川を遡って柵留山の南側を抜けるのが良い……と考えられていたのだと思われます。ただ、冬場は雪が深いからか(あるいは他の理由があったからか)交通路としては使えない、と判断したので「夏の道」と呼ぶようになった、と言ったところでしょうか。
滝上町にも「札久留」という地名・川名がありますが、面白いことに滝上の「サクルー川」は現在の上紋峠沿いを流れています。滝上から西に向かうには「サクルー川」沿いのルートを使い、士別(朝日)から東に向かうには「サックル川」沿いのルートを使用した、ということなのでしょうか。
タドシュナイ川
(典拠あり、類型多数)
サックル川の北支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」や丁巳日誌「天之穂日誌」には記載がありませんが、更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。タドシュナイ川
柵留川の右支流。深川市の多度志と同じタッ・ウㇱ・ナイで樺皮多い川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.165 より引用)
tat-us-nay で「樺の木の樹皮・多くある・川」という解釈ですが、全く同感です。更科さんは tat を「樺皮」としていますが、「樺の木」自体は tat-ni と呼び、単に tat とした場合は「樺の木の樹皮」と解釈するのがお作法だ、とされています(但し地域によって異なる場合あり)。アイヌにとって重要なのは(衣服を紡ぐのに使う)樹皮であり、樹木は単に樹皮を纏ったもの(あるいは樹皮を与えてくれるもの)だった、ということなのでしょうね。
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