2019年2月9日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (604) 「兼内・東内大部川・ヌプリシロマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

兼内(けんない)

kenas-pa-oma(-nay)
野原・かみ・そこに入る(・川)
(典拠あり、類型あり)
士別市東部、西内大部川と東内大部川の間に位置する集落の名前です。「北海道地名誌」に記載がありましたので、見ておきましょうか。

 兼内(けんない) 天塩川の右岸東内大部川の下流水田地帯。地名の起こりは明らかでないが,「ケネ・ナイ」ではんの木川の意かと思う。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.301 より引用)
ふんわりとした解説をありがとうございます。kene-nay で「ハンノキ・川」ではないかという説ですね。「剣淵」の由来が kene(-pet)-puchi ではないかと言われているので少しネタかぶりの予感もしますが、似たような地名が近接するのも良くある話ですので、必ずしも否定につながるものではありません。

「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみたところ、「ハンケケナシハラマ」と「ヘンケケナシハヲマ」という川が記録されていました。この両河川は「兼内」の集落の東西を流れていたと考えられそうです。

「ハンケケナシハラマ」と「ヘンケケナシハヲマ」ですが、おそらく「──ハラマ」が「──ハヲマ」の誤記ではないかな、と考えています。penke-kenas-pa-oma であれば「川上側の・野原・かみて・そこに入る」と読み解けます。おそらく後ろに -nay(川)が続いていたと見るべきでしょう。

「ケナシハヲマ」が「兼内」になるメカニズム?ですが、kenas-pa-oma-nay-pa-oma を省略した、ということなんだろうなぁと思われます。

東内大部川(とないたいべ──?)

tu-un-{nay-e}-etaye-pet??
峰・に入る・{川の頭(水源)}・引っ張る・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
西内大部川の東側を流れる川の名前で、源流に向かって遡ったところに「東内大部山」もあります。手持ちの資料を見てみたのですが、読みが一定しておらず、現在一般的な読み方と違っていたらすいません……。

なるほど「西内大部川」の東にあるから「東内大部川」なのね……と思いたくなるのですが、ところが「東西蝦夷山川地理取調図」には「トナイタイベ」とあり、丁巳日誌「天之穂日誌」にも「トナイタイヘ」と記録されています。つまり、「東内大部」となる前から「ト」が頭についていたと思われるのです。

アイヌ語で to と言えば「湖」あるいは「沼」を意味しますが、明治の頃の地形図を良く見てみると「ツーナイタエペ」と記されています。もしかしたら to ではなく tu だったのかもしれません。

{tun-nay}-e-etaye-pet であれば「{谷川}・頭(水源)・引っ張る・川」と解釈できるかもしれません。tun-nay は、知里さんutun-nay すなわち utur(間)の nay(川)ではないかと解釈していたとのこと。

あるいは tu-un-{nay-e}-etaye-pet で「峰・に入る・{川の頭(水源)}・引っ張る・川」とも解釈できるかもしれません。

ヌプリシロマナイ川

nupuri-rer-oma-nay
山・向こうの所・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)
「東内大部川」の東側を流れる川です。雨が降った時は一気に水嵩が増しそうな感じがする川ですね。

音からは nupuri-sir-oma-nay と読み解けそうな感じがしますが、nupurisir も、どちらも「山」と解釈できます。うーん、これはどうしたものか……と思ったのですが、丁巳日誌「天之穂日誌」に次のように記されていました。

先是より其奥の事を聞て筆記せば、しばしを過て
     ヌフリレヽマ
左りの方小川のよし。其前枝川多く有りたると。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.118 より引用)
なるほど、どうやら「シ」は「レ」を読み間違えてしまったようですね。sir と比べると随分とマイナーですが、rer という語彙もあるのです。知里さんの「──小辞典」から引用しておきましょう。

rer れㇽ 【ナヨロ】山の向う側;山かげ。 =kus. nupuri-~-oma-nay 山・の向う・にある・沢。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.108 より引用)
あ(汗)。丸々そのまんまでしたね。nupuri-rer-oma-nay で「山・向こうの所・そこに入る・川」と解釈できそうです。

どこから見て「山の向こう側」なのか……という話ですが、地形図を見た限りでは、士別市朝日町の中心街(かつて「奥士別」と呼ばれたあたり)から見ると、ちょうど山が邪魔をしているように見えるんですよね。

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