2019年1月20日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (599) 「多寄・真狩・オーツナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

多寄(たよろ)

tay-oro-oma-p
林・その中・そこに入る・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
士別市北部、士別と名寄の間の地名で、同名の駅もあります。ということでいつもの通り、「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  多 寄(たよろ)
所在地 士別市
開 駅 明治 36 年 9 月 3 日(北海道鉄道部)
起 源 アイヌ語の「タヨロマペッ」、すなわち「タイ・オロ・オマ・ペッ」(森の中に入っていく川)の下部を略したものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.175 より引用)
tay-oro-oma-pet で「林・その中・そこに入る・川」ではないか、と言うのですね。永田地名解にも全く同一の解が記されていました。

Taioro ma pet  タヨロ マ ペッ  林川「タイ オロ オマ ペッ」ノ急言林中ニアル川ノ意
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.418 より引用)
ただ、丁巳日誌「天之穂日誌」には若干ながら異なる形で記録されていました。

針位は辰・巳・午・未と大低四位を屈曲し上り、
     タヨロマ
是もフウレツフ位の川なりけるが、左りの方え切たり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.104-105 より引用)
天之穂日誌と同じく、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「タヨロマ」と記されていました。また、明治の頃の地形図には「タヨロマㇷ゚」と記されていました。これらを総合して考えると、tay-oro-oma-p で「林・その中・そこに入る・もの(川)」と考えるのが妥当かなぁ、と思われます。

まぁ pet でも p でも、指しているものは同じなので、どっちゃでもええと言われればそれまでですけどね。

それはそうと、「名寄」と「多寄」はとても紛らわしい、という話があります。特に風連町のあたりでは「名寄」と「多寄」では真逆の方向を指すことになるので、常日頃から気をつけてらっしゃるのだろうなぁ……と思っていたりするのですが、いかがでしょうか。

この「谷のところ」(名寄)と「林のところ」(多寄)というややこしいネーミングですが、それ自体がセットになっていたのではないかな、と思えてきました。美深のほうから天塩川を遡った時に、大まかな方向を指し示すのに「谷のほう」「林のほう」と表現した、と考えられそうな気がするのです。

真狩(まっかり)

mak-or(-oma-pet)??
後ろ・その中(・そこに入る・川)
(?? = 典拠なし、類型あり)
道南の「羊蹄山」の真南に「真狩村」(まっかり──)という村がありますが、その真狩村ではなく、士別市北部にも同じ字の「真狩」という地名があります。JR 宗谷本線の風連駅の南、瑞穂駅の東に位置し、同名の川も流れています。

明治の頃の地形図では、この川は「ポンタヨロマㇷ゚」と記されています。「小さな多寄川」という意味で、確かに多寄川と似た特色を持つ支流の名前としては適切なものです。それが現在、何故「真狩川」と呼ばれるようになったのかは良くわかりませんし、そもそも、この「真狩川」がアイヌ語に由来するかどうかも不明です。

道南の「真狩川」(「歌う細川たかし像」のあるところです)は mak-kari-pet で「後ろ・回る・川」ではないかと言われていますが、士別の「真狩川」は「回っている」ようには見えません。地形的な特色から考えると、mak-or(-oma-pet) で「後ろ・その中(・そこに入る・川)」あたりじゃないかなぁ、と思ったりします。

オーツナイ川

utka?
浅瀬
ooho-ut-nay?
深い・肋(あばら)・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
士別の市街地の北側を流れる天塩川の東支流の名前です。音からは ooho-nay で「深い・川」あたりかと思ったのですが、水田地帯を流れる小さな川で、それほど水かさがあるようにも思えません。それにそもそも ooho-nay だったら「オーホ」ですしね。

2019/2/2 追記
明治時代の地図に「オオホウツナイ川」という記載を見つけました。やっぱり ooho も含まれていたようですね。「深い浅瀬」という解釈はさすがに成り立たないと思いますが、天之穂日誌の内容(下記)を考えると「流れの早い浅瀬」という解釈も完全に切り捨てるわけにもいかず、とりあえず残しています。

「オーツタイヤ」とも関係無さそうですし、さてどうしたものか……と思ったのですが、丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

     ウ  ツ
ウツは汐の早きと云事也。此処急流、
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.110 より引用)
ほう(汗)。そうか、そういうことでしたか。やられたなぁ……。

永田地名解にも次のように記されていました。

Ut nai  ウッ ナイ  脇川 高橋圖「ワツナイ」ニ作ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.418 より引用)
ut-nay と言えば苫小牧の「ウトナイ湖」が有名ですね。本川に合流する手前でわざわざ直角寄りに向きを変えてから合流する川が、背骨に対する肋骨のように見えることから「肋(あばら)・川」なのだ、と理解してきました。

ただ、「天之穂日誌」には「ウツは汐の早きと言う事なり」とあります。これはどうしたものか……と思ったのですが、同様の矛盾?を紋別の「宇津々」でも見ていたのでした。

知里さんの「──小辞典」にも次のように記されていました。

utka うッカ 川の波だつ浅瀬;せせらぎ。──本来はわき腹の意で,そのように波だつ浅瀬をさす。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.139 より引用)
今回も地球に優しい(どこが)コピペでお届けしますが、士別の「ウツ」ももともとは utka で「浅瀬」だった可能性がありそうですね。「此処急流」というのも「傾斜が急」なのではなくて「流れが早い」と読むべきなのでしょうね。

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