2019年1月18日金曜日

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冬の爆発踏切と角島大橋 2017 (14)「101 年後の『小倉裏線』跡」

 

JR 日豊本線をアンダーパスして、更に北に向かいます。前方にモノレールの「片野駅」が見えてきました。またしてもモノレールの工事のために車線が規制されるようですが……
丁寧にお願いされてしまうと、「しゃーねーなー」と思えてきますよね。
この手の案内板って特に統一規格は無いのか、会社によってはオリジナリティあふれるデザインのものもあるようですね。

懐かしの「北九州道路」

前方に「北九州都市高速道路 4 号線」の高架が見えてきました。九州道が全通する前は「北九州道路」と言う名前で、国道 3 号の自動車専用道路扱いだったような気がしますが……。

どうやら 1991/3/31 付けで日本道路公団から福岡北九州道路公社に譲渡され、その際に名前が変わったようですね。
そして、「香春口三萩野駅」(かわらぐちみはぎの──)の手前の「三萩野」交叉点を右折して、国道 3 号に入ります。この右折レーンはモノレールの直下にあるんですね。

小倉裏線

ここからの国道 3 号ですが、この道に沿って「小倉裏線」という鉄道路線が走っていました。「裏線」というネーミングもなかなかのものですが、小倉駅を通らないので「小倉裏線」というネーミングにしたようです。
この「小倉裏線」を建設した……というか、建設させられる羽目になったのは当時の「九州鉄道」で、開通は明治 36 年(1903 年)のことでした。その後 1904 年に日露戦争が始まると、その二日後に「足立軍用停車場」(足立駅)が開業します(現在、ニトリや福岡トヨペット、ハローワーク小倉、郵便局や中学校のあるあたりです)。

ところが、足立駅は開業から僅か一週間で兵士の輸送を終了することになり、更に三年後の 1907 年には九州鉄道自体が国有化されてしまいます。1909 年に「小倉裏線」と命名されますが、1916 年に全線廃止されてしまいました。つまり、廃止されてから 101 年後に小倉裏線・足立駅の跡にやってきたことになります。

ちなみに、この区間が「小倉裏線」の跡、あるいはそのすぐ近くである、ということに気づいたのは昨日のことです。つまり、当日はなーんにも知らずにふつーにドライブしていたことになります(汗)。

「都市高速」

国道 3 号を門司方面に向かいます。門司から先の距離は「関門国道トンネル」経由のものでしょうか。
「北九州都市高速道路 4 号線」の「足立 IC」に誘導する案内標識が見えてきました。もともとは日本道路公団が運営していた道路だったこともあって見事に「公団ゴシック」ですが、それ以上に「都市高速」という表現が斬新ですよね(普通は「首都高速」とか「阪神高速」という風に、固有名で表示されると思うのですが)。
ちなみに、この「足立 IC」、日本のフル IC の中ではもっともコンパクトなものでは無いでしょうか。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

カラフルな青看板

門司方面への入口には向かわずに、そのまま国道 3 号を直進します。随分とカラフルな青看板ですが、車線ごとに色分けされた舗装の色と合わせているんですね。
カラーリングでルートを案内する方法は東北道の郡山 JCT. でも見かけましたが、これから全国的に普及するのでしょうか。

「都市高速」は公団ゴシックで

「都市高速」への案内が公団ゴシックなのは、まぁ理解できますが……
こちらの青看板は、なんと「富野 IC」への案内部分のみ公団ゴシックが使われています。芸が細かいなぁ。

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