(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
名寄(なよろ)
(典拠あり、類型あり)
道北の都市の名前で、同名の川も流れています。旭川と稚内の間を結ぶ JR 宗谷本線の沿線の中では、もっとも人口の多い都市です。ちなみに、同名の「名寄村」が樺太にも存在していました。
言わずとしれた大地名ですが、こういう地名に限って何故かこれまで取り上げていなかったりするものでして……。まずはいつもの通り、「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。
名 寄(なよろ)
所在地 名寄市
開 駅 明治 36 年 9 月 3 日(北海道鉄道部)
起 源 アイヌ語の「ナヨロ・プッ」(川の入口)の下略で、名寄川が天塩川にそそぐあたりを指したものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.176 より引用)
はい。nay-oro-put で「川・のところ・入口」と言ったところでしょうか。put、putu あるいは puti は「入口」という意味で、「太」という字を当てられることが多いものです。「空知太」や「十勝太」などが著名でしょうか。つまり、「名寄太」であれば「名寄川の入口」ということになります。ただ、実際に名寄川が天塩川に注ぐあたりは「内淵」という地名です。これは nay-puti で「川・入口」と解釈できます。さてこれはどう考えたものでしょうか……。
丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。
また未申に当りてハツシヤシロと云岳五六に見ゆるなり、是より七八丁巳・辰・巳・辰・卯と屈曲して、
ナイブト
此処二股に成て右の方シベツ通り本川、左りの方ナヨロ通支流也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.75 より引用)
nay-puti という名前からは、「名寄川」が単純に nay(川)と呼ばれていた可能性が出てきます。ただ松浦武四郎はこの前後で「ナヨロの川」という表現を多用しており、「ナヨロ」という呼び方が確立していたことを思わせます。また「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ナヨロフト」との記載はあるものの「ナイフト」の記載はありません。「ナイフト」と「ナヨロ」あるいは「ナヨロフト」の関係については、山田秀三さんは次のように考えていたようでした。
この一連の文から見ると,名寄川はナイ,あるいはナヨロで呼ばれていたものらしい。ずいぶん大きい川なのであるが,それをただナイと呼んでいたらしいことに注意したい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.148 より引用)
確かに nay-or で「川のところ」という川名は変な感じがしますね。元々は nay だったんじゃないか……という話については、nay と pet の違いについて考えさせられます。ちょいと余談
nay と pet は、どちらも「川」だ、と解釈されることが一般的です。nay と pet では、nay が小さな「谷川」を指すことが多く、pet は比較的大きな「川」を指すことが多い、とされることもあります。また、不思議なことに nay がほとんど存在しない地域というものも存在します(有名なところでは千島列島など)。一方で、大きな川でありながら nay で呼ばれる地域もあります(樺太など)。知里さんは、pet が昔からのアイヌ語で、nay は大陸経由で流入した新しい語彙だ……という説を唱えていましたが、確たる証明はなく、仮説の域を出ていません。
(日本の)東北地方北部にもアイヌ語に由来すると考えられる地名が多く見られますが、圧倒的に nay が多い印象があります。
閑話休題
名寄の地形を大局的に捉えた場合、南から北に流れる「天塩川」と東から合流する「名寄川」によって形成されていると言えるわけで、天塩川沿いに南北に広がる名寄盆地から見ると、名寄川は「谷のほう」と見ることができるのかもしれません。道内における nay と pet の使い分けで、nay が「谷川」で pet が「川」となるケースが比較的多い……という話をしましたが、名寄盆地においても「天塩川」が pet で「名寄川」が nay と捉えられていたのかもしれません。
ということで、無理やり本題に戻りますと、「名寄」は nay-or で「川・のところ」だと考えられますが、より正確を期すならば「谷・のところ」となるのかもしれません。
内淵(ないぶち)
(典拠あり、類型あり)
毎度おなじみ、前項で語り尽くしたシリーズです。内淵は、現在は名寄の市街地から見て北西部の地名で、同名の川も(国道 40 号沿いを)流れています。本来は「名寄川の河口」一帯を指す地名で、nay-putu で「川(名寄川)・入口」だったと考えられます。
ラカン川
(?? = 典拠なし、類型あり)
名寄の市街地ではアイヌ語に由来する地名の多くが失われていますが、市街地の東側で名寄川に注ぐ支流の「ラカン川」だけが何故かそのまま残されています(もしかしたら、何らかの理由で「新しい名前」が普及しなかったのかもしれません)。2019/1/12 追記
「北海道地名誌」によると、この川は通称「斎藤の沢」と呼ばれていたとのこと。また、「東西蝦夷山川地理取調図」にある「ルイカノツイ」が「ラカン川」の原型かもしれないので、もしかしたら「ウグイの産卵場」説は根本的に間違っている可能性もあります。
明治の頃の地形図には「ラカノチナイ」と記されています。rakan-ot-nay で「ウグイが産卵のために集まる・そこでいつもする・川」と考えられそうですね。
この「ラカン」について、萱野さんの辞書には次のように記されていました。
*ウグイが産卵のために大川の縁へ集まることをラカンという.このような時は人間が近づいても逃げないし,そのような時は網を入れたり驚かすものではなく見るだけにするものとされている.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.459 より引用)
まるでアイヌとウグイの間の「暗黙の了解」が存在するかのようで微笑ましい話ですね。環境資源の持続性を考える上でも的確な考え方のような気がします。www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿