2018年12月26日水曜日

阪九フェリー「いずみ」ロイヤルルーム乗船記(明石海峡大橋・瀬戸大橋編)

阪九フェリー「いずみ」は泉大津と新門司の間を、瀬戸内海経由で運航されています。瀬戸内海を通るということは、今更言うまでも無いことですが、瀬戸大橋の下をくぐるということになります。
5F 案内所の前には「三大大橋通過時刻」が掲出してありました。「多少前後する場合がございます」としつつ、5 分刻みで時間を記してあるあたり、その細かさはさすが日本の公共交通機関と言ったところでしょうか。

テラスに出る方法

明石海峡大橋や瀬戸大橋は、6F 前方にある「展望ルーム」から眺めることもできます(来島海峡大橋は通過時間が遅くなるため、新門司行きでは展望ルーム利用不可)。
ただ、「ロイヤル」にはプライベートテラスが用意されているので、どうせだったら自室でのんびりと眺めるのもいいかもしれません。ということで、テラスへの出方のおさらいから。
部屋のガラスは、左側(後方側)が固定で、右側がドアと兼用です。窓(兼ドア)にはこのような大きな取っ手がついていますが……
左にくるっと 180 度回してください。これでロックが解除されます。
あとはそのまま左に引くだけです。
阪九フェリーは高速船ではありませんが、航行中の船は結構な風を受けているので、テラスに出ているだけで思った以上に体温が奪われます。防寒にはお気をつけください。

明石海峡大橋っ!

正直な話をすると、案内所の前に「三大大橋通過時刻」が出ているのを見て、「なにも今更本四連絡橋を見なくてもねぇ」などと思っていたのですが、実際に美しくライトアップされた明石海峡大橋が近づいてくるのを見ると「うひょおお」という気分になり……
気がつけばテラスに出て写真を撮りまくる始末。ライトアップされた明石海峡大橋の下を自室から眺めるという贅沢は、実はそうそう体験できるものでも無かったことにその場で気付かされたというオチでした。

そして瀬戸大橋!

明石海峡大橋を 18:31 頃に通過して(あ、予定より 4 分ほど早かったですね)、約 2 時間ほどで次のスポットの「瀬戸大橋」です。前方左側に、坂出は番の州の工業地帯が見えてきました。
瀬戸大橋は 5 つの吊橋と 1 つのトラス橋、および複数の PC 橋で構成されますが、5 つある吊橋の中でもっとも南に位置し、もっとも径間の大きい「南備讃瀬戸大橋」が見えてきました。
ちなみに、この写真、よーく見ると下に JR の列車が走っているのも見えます。
阪九フェリー「いずみ」は南から数えて 2 つ目の吊橋である「北備讃瀬戸大橋」の下を通ります。主塔が 3 つ見えるのは「瀬戸大橋」らしい眺めですね。
ちなみにこの写真を撮影したのが、「瀬戸大橋」の通過予定時刻として掲出されていた 21:40 でした。
最後の一枚はプライベートテラスならではのアングルから。
何度も見慣れている筈の瀬戸大橋ですが、いつもとちょっと違う角度から眺めるだけで、こんなに楽しめるものだったんですね……。

島と島の間を最短距離で

21 時 48 分。「いずみ」は定刻どおりに「北備讃瀬戸大橋」の下を通過して、更に西に向っていました。あれ、なんか左手に島が見えるなぁ……と思っていたのですが、なんと、丸亀市の本島と牛島の間の少し狭い部分を航行していました。
地理院地図には「南備讃瀬戸大橋」の下を通って牛島の南を航行する航路が描かれていますが、改めて地図を見てみると牛島の北を通るほうがより直線的で距離も短そうなんですよね。
船の世界では右側通行が原則なんて話もありますので、あるいは牛島の北側を通るのは西行きの船だけ、とかなんでしょうか。

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2 件のコメント:

  1. <セルダン>2018年12月27日 18:54

    http://www6.kaiho.mlit.go.jp/bisan/succor/kouhou/index.htm
    こちらに海保の備讃瀬戸通航ガイドというのがあります。
    牛島の北側を通るのが備讃瀬戸北航路で南側を通るのが備讃瀬戸南航路。

    で、上記URLの[9]通航分離という所に書いてありますが、
    > (3) 備讃瀬戸北航路は西の方向への、備讃瀬戸南航路は東の方向への一方通航です。
    という事のようです。

    おおむね予想通りですね(^^;

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  2. <セルダン> さま:

    ご無沙汰しております。面白いページのご紹介、ありがとうございます。
    やはり、北備讃瀬戸大橋をくぐってわざわざ島と島の間の狭い部分を通るルートは西行き限定だったんですね。良く考えてみれば近くで宇高連絡船「紫雲丸」が衝突・沈没したこともあるので、航路の方向別分離が徹底しているのも当然のことだったかもしれません。

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