(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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エクヤシン沢川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
レフ・ヤシンと言えば旧ソ連を代表するゴールキーパーで、また世界最高のゴールキーパーの一人でもあった人物です(懐かしいですね)。さてそんな「レフ・ヤシン」とどことなく似た感じのする(そうかな)「エクヤシン沢川」は、名寄川源流部にほど近いところを流れている東支流の名前です。南隣には「エクヤシン左下の沢川」も流れています。確かに南西側、つまり地図では「左下」に位置しているのですが、実際に川の名前を「左下」にしてしまうのは凄いですね。
明治の頃の地形図には「ユクシヤン」と記されています。どうやら「シヤン」が「ヤシン」に化けてしまったようですが、これはやはりレフ・ヤシンの影響d(たぶん違う)。
「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「ユツクシヤム」と「ヘンケユツクシヤム」という川(どちらも東支流)が記されていました。現在「ガンケの沢川」という東支流がありますが、あるいはこれは「ヘンケユツクシヤム」の成れの果て……だったりするかもしれません。
正確なところは不明ですが、松浦武四郎が「ユツクシヤム」と記した河川名が、おそらくは明治に入ってすぐの頃に「エクシヤン」に誤認され、ついでに現在の「エクヤシン沢川」を指すことになってしまった……と考えられそうです(「エク」は「ユク」の誤記ではないか……という想像も含みます)。
あとは「ユツクシヤム」をどう解釈するかですが、yuk-san で「鹿・山から出てくる」あたりでは無いでしょうか。「シカ飛び出し注意」という川名だったのではないか……と想像してみました。
あるいは yuk-kus-yam(-nay) で「鹿・通行する・冷たい(・沢)」という可能性もあるかもしれません。
……あっ! よく見ると「エクヤシン沢川」を遡った先に「幾山岳」という山があるじゃないですか。これも yuk-san から来ていると考えられそうな気がします。
由紀の沢(ゆきのさわ?)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
エクヤシン沢川を遡ると多くの沢が枝分かれしていますが、「由紀の沢」はエクヤシン沢川の南支流としてはおそらく最大のものです(北支流だと「下の沢川」と「上の沢川」のほかに名称不詳の沢もあり、いずれも「由紀の沢」よりも長いです)。位置こそ多少違うものの、「エクヤシン沢川」が丁巳日誌にある「ユツクシヤム」ではないか、と言う推論を立ててみたわけですが、その支流のひとつである「由紀の沢」が「ユツクシヤム」ととても似ている、という(偶然にしては)面白い一致があります。
ということで、「エクシヤン」を経由して「エクヤシン」に改名されてしまった「ユツクシヤム」という名前が、上流部だけ生き残って「由紀の沢」になったのではないか……と考えてみました。意味するところは同じく yuk-san で「鹿・山から出てくる」ではないかと考えています。
ウヤムナイ沢川
(?? = 典拠なし、類型あり)
名寄川西支流の名前です。「エクヤシン沢川」が名寄川と合流したあたりから、5 km ほど川下側(北側)に下ったあたりで西から名寄川に合流しています。少し調べた限りでは意味がさっぱり想像できなかったのですが、ウヤムヤに済ませるわけにも行かず(ぉぃ)、調べを進めたところ……明治の頃の地形図に「オーシヤム」と記されている川が、現在の「ウヤムナイ沢川」っぽいことがわかりました。
この「オーシヤム」、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲヽセコム」という民間警備会社のような名前で記されていますが、丁巳日誌「天之穂日誌」には「ヲヽセヤム」とありました。「コ」は「ヤ」の誤記だったと考えていいのかもしれません。
「ヲヽセヤム」「オーシヤム」あるいは「ウヤムナイ」からその意味を推測すると……良くわからないですね(ぉぃ)。素直に読み解くと wose-yam(-nay) で「(犬や狼が)遠吠えする・冷たい(・沢)」あたりになるのかなぁ、と思います。
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