(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
雄背牛(おせうし)
(典拠あり、類型あり)
「オセウシ川」というオシラネップ川の東支流があります。道道 617 号「オシラネップ原野濁川停車場線」は「高雄橋」でオシラネップ川を渡っていますが、その少し上流側で「オセウシ川」が東からオシラネップ川に合流しています。オセウシ川がオシラネップ川に合流するあたりが「雄背牛」という地名だそうですが、なぜか「角川──」(略──)などには記載が無いようです。戊午日誌「西部志与古都誌」には次のように記されていました。
扨此川すじの事を此処にて聞に、川口より七八丁を入りて
ヲヽセウシ
左りの方小川有、其名義は狼多しと云義なるが、古老の申伝えには、往昔何物かしらざるが此処にて声を立しと、依て此名有るよし申伝ふ。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.303 より引用)
永田地名解にもほぼ同様の内容が記されていました。Oose ushi オオセ ウシ 狼多キ處 狼出デ夥シク鹿ヲ食ヒシ處ナリシガ今ヤ鹿盡キテ狼モ亦ナシ田村すず子さんの辞書によると、wose で「(犬や狼が)遠吠えする」という語彙があるとのこと。つまり wose-us-i だと「(犬や狼が)遠吠えする・いつもする・ところ(川)」ということになりそうです。
チケレペオペツ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
オシラネップ川沿いを道道 617 号で遡ると「上雄柏」という集落がありますが、チケレペオペツ川は上雄柏の更に奥(南)のあたりで西から合流しています。永田地名解には次のように記されていました。
Chikerebe-o pet チケレベオ ペッ 黄蘗實多キ川 古ヘ粟米ナキ時ハ專ラ斯實ヲ食料トセリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.456 より引用)
えっ、これは……。確かにキハダの実を意味する sikerpe という語彙がありますから、sikerpe-o-pet であれば「キハダの実・多い・川」となります。ただ、「チケレペオペツ」という音からは、{chi-kere}-pe-o-pet で「{削れている}・もの・多くある・川」とも読めます。キハダが自生しているわけでもなく、また崖崩れが多く見られるのであれば、この解釈も考えられたりしないでしょうか。
ペンケプシュナイ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
チケレペオペツ川がオシラネップ川と合流するところから、オシラネップ川を数百メートル遡ったところで、「パンケプシュナイ川」が東から合流しています。また、そこから更に 2 km ほど遡ったところで「ペンケプシュナイ川」が同じく東から合流しています。戊午日誌「西部志与古都誌」には次のように記されていました。
またしばし過て
フシナイ
左りの方小川。此処本名ブスナイのよし。是に附子多く有りしより号しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.303 より引用)
附子、すなわち「トリカブトの根(から取った毒薬)」が多いから……という説のようですが、アイヌ語では「トリカブト(の根から取った毒薬)」は surku あるいは suruku なので、和語の「附子」が地名に取り入れられた、というのは少々厳しいように思えます。但し、「附子」という単語も「昆布」などと同様、割と早い時期にアイヌ語に「持ち込まれた」形跡があるので、「附子」が「フシナイ」の由来である可能性を完全に否定するものではありません。
一方で、永田地名解には異なる解が記されていました。
Pu ush nai プ シュ ナイ 庫澤 鹿ヲ納レタル庫ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.456 より引用)
penke-pu-us-nay で「川上の・庫・ある・川」と考えたようですね。どうやら今ではこちらが定説と考えられているようです。「庫ある川」説に明確な疑義があるわけでは無いのですが、pus-nay で「壊裂する川」とも読めそうだなぁ……と思ったりもします。
ペペロナイ川
(典拠あり、類型あり)
そういや最近ペペロンチーノを食していないことに気づきました(甚だしくどうでもいい)。さて、ペペロナイ川はオシラネップ川上流部の東支流です。道道 617 号「オシラネップ原野濁川停車場線」はペペロナイ川がオシラネップ川と合流するところが終点で、この先オシラネップ川やペペロナイ川を遡るには林道に入ることになります。
なお、正確には「終点」ではなくて「起点」です。
相当な山奥なので、松浦武四郎は実際には足を踏み入れていなかったようですが、戊午日誌「西部志与古都誌」には聞き書きの内容が記されていました。
へヽロナイ
ヘヽ口は鹿草の事也。是多きによつて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.304 より引用)※ 原文ママ
永田地名解も、この解を追認していたようで、次のように記されていました。
Pepero nai ペペロ ナイ ペペロ草ノ澤 「ペペロ」ハ草名和名未詳アイヌ其根ヲ食フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.456 より引用)
「ペペロ」は、知里さんの「──植物編」によると§353. ユキザサ Smilacina japonica A. Gray
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.209 より引用)
とのこと。ということで、pepero-nay は「ユキザサ・川」と考えられそうです。おそらく間に -us あたりが入っていたのが省略されてしまったのでしょうね。「──植物編」には、次のような参考情報も記されていました。
(參考)秋,この根莖を掘ってうでてすぐ食べたり,うでて乾して冬のために貯えておいたりした。冬になってから,それを臼で搗いて措いて箕で簸ると皮も毛も除かれるから,それを米や豆やギョオジャニンニクなどと共に飯に炊いて獣油またわ魚油を附けて食う。それを pepéro-mesi(ユキザサ・めし)と云った(幌別)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.210 より引用)
どうやら永田方正が「アイヌその根を食う」としたのは間違っていなかったようですね。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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