2018年11月25日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (583) 「立牛・上古丹・南キシマナイ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

立牛(たつうし)

tat-us-i
樺・多くある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
紋別市南西部の地名です。渚滑川の南支流に「立牛川」があり、また立牛川の東には「立牛岳」という山もあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「タツシ」と記されています。また戊午日誌「西部志与古都誌」には次のように記されていました。

川すじ此辺にて午巳辰と向に凡七八丁にて
     タ ツ シ
此処左りの方小川有、此山の上樺木多し。よって号る。タツは樺木也、シはウシの略語なるなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.302 より引用)
どうやら tat-us-i で「樺・多くある・もの(川)」と考えて良いようですね(深川市の「多度志」と似ています)。厳密には tat は「樺の木の皮」を意味し、「樺の木」であれば tat-ni となります。ですので「樺の木の皮・多く採れる・もの(川)」と読み解いたほうが、より正確なのかもしれません。

上古丹(うえこたん──)

wen-kotan
悪い・集落
(典拠あり、類型多数)
中立牛(紋別市上渚滑町中立牛)の南東の地名で、同名の川(立牛川の東支流)も流れています。現在の地名は「うえこたん」と読むようですが、面白いことに地理院地図には「上古丹川」に「うえん──」とルビが振られています。

「角川──」(略──)には次のように記されていました。

地名はアイヌ語のウェンコタン(悪い集落)に由来する(紋別市史)。江戸期の松浦武四郎「廻浦日記」に「ウエンコタン,此所も夷家二軒有」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.390 より引用)
沿岸部の紀行文である筈の「竹四郎廻浦日記」に、本当にこんな山奥のことが書かれていたのかなぁ……と思って見てみたところ、

少し上ウツ、チトカンヒラ、チラヲレヒラ、チラヲンベツ、ライヘツ、ヲワフンベ、フアマシナイ、イヒロヽマッフ、タトシ、ウエンコタン、此所も夷家二軒(イソコラニ家内三人、ヘテモ家内五人)有。此イソコラニは子供のみ三人呉し。ヘチモは極老なるよし(なる)が、相応の子供有を皆ソウヤヘとられ、只壱人暮なりと聞り。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.344 より引用)
ふわわ、「夷家二軒有」どころではなく、個人名から家族構成までバッチリ記載されていました。「相応の子供有を皆ソウヤヘとられ」というのが往時の惨状を如実に物語っていますね。

本題に戻りますと、「角川──」にも「うえんこたん」で「上渚滑町上古丹(──うえこたん)」を参照する記載があることから、比較的近年まで「うえんこたん」という読みも通じていたのかもしれません。

wen-kotan で「悪い・集落」という意味ですが、果たして何が悪かったのか……。下立牛で水銀の試掘をしたという話もあるようですから、鉱物性の混じり物のある水でも流れるところだったのでしょうか。

南キシマナイ沢

ninar-kes-oma-nay
川岸の平地・末端・そこに入る・沢
(典拠あり、類型あり)
1980 年代の「土地利用図」には、中立牛の西を流れる川の名前として「南キシマナイ沢」と記されていました。なぜか現在は「立牛二十線川」というシンプルな名前に変わってしまっていますが……。

「キシマナイ」って一体何だろう……と思って古い地図を見ていたところ、意外なことがわかりました。なんとこの川の元々の名前は「ニナルケシオマナイ」だったとのこと。……やられましたね。「南」が ninar の当て字だという展開は流石に想定外でした(汗)。この「南キシマナイ沢」ですが、また都合の良いことに、中立牛の集落の南側(南西側)を流れているんですよね……。

ninar は土地によってニュアンスの違いが大きく、和訳が難しい語彙のひとつですが、ninar-kes-oma-nay であれば「川岸の平地・末端・そこに入る・沢」と読めそうですね。

ninar に「南」という漢字を当ててしまったという傑作な川名も、結局「立牛二十線川」になってしまったのはなんとも残念な感じがします。

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