(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ルートモトイエナイ川
(典拠あり、類型あり)
網走市能取の集落の真ん中を流れる川の名前です。ルート元言えない……丸紅ルートでしょうか。コーチャン氏でしょうか(いつの話だ)。この「ルートモトイエナイ川」ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」では「ルートモトメナイ」と記されていました。ルート求めない……。
戊午日誌「西部能登呂誌」には次のように記されていました。
また拾丁計も行て
ルウトモトメナイ
此処にも小川有。此処えはトコロの川すじのシユツホシユケウシより冬道越来る道有るが故に如い此号るとかや。ルウトモとは山道越ると云儀のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.133-134 より引用)
ルートモトイエナイ川を遡ると尾根筋を走る道路と合流しますが、さらにその先を常呂大橋方面に降りることができそうです。能取の集落から常呂に向かうには、海沿いを通るよりも短距離で住むことから、交通路(ru)として使用されたようですね。知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
(18) モコリペウシナイ(Mokoripe-ush-nai) モコリペ「ぼら」,ウㇱ「多く居る」,ナイ「川」。川口にぼらが沢山居た。モコリペは「眠り魚」の義で,この魚は夏になると水面に浮んで昼寝をするのでいくらでも手ずかみすることができたという。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.277 より引用)
ん……? 「モコリペ」と言えばポンモエリペオマナイ川の回で出てきましたが、知里さんの調べでは別に「モコリペウシナイ」という川があり、その別名がこの「ルートモトイエナイ川」だとのこと。ルートモツ゚イェナイとも云う。ルー・トモツ゚イェ・ナイ ru-tomotuye-nai「路を・よこぎつて行く・川」。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.277 より引用)※ 原文ママ
ru-tomotuye-nay で「道・横切る・川」とのこと。tomotuye という語彙は初めて見るような気もしますが、田村さんの辞書にしっかりと記載がありました。あっ、ルート元を言ってしまった!
トーブト川
(典拠あり、類型多数)
ルート元……じゃなくてルートモトイエナイ川の東隣を流れる川の名前です。支流(オンネポツト湖川)があり、その上流に「ポント沼」があります。このトーブト川ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には記載がありません。また戊午日誌「西部能登呂誌」には「トウブト」という地名が記録されていますが、これは能取湖の湖口のことで、トーブト川とは別のものです。
ただ、意味は似たようなもので、トーブト川は「ポント沼」の出口を意味すると考えられます。知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
(17) トープツ゚(To-putu) トー・プツ゚は「沼・の入口」。詳しく云えばトーペッ・プツ゚「沼へ行く川・の入口」。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.276 より引用)
to-putu で「沼・入り口」だと言うのですが、実際に「沼の入り口」なのはトーブト川ではなく支流の「オンネポツト湖川」です。これはどう考えればいいのでしょう……?大正十三年測図の陸軍図(スタンフォード大学さんありがとう)を見てみると、トーブト川はまっすぐポント沼に繋がっています。ということで、現在の「オンネポツト湖川」が本来の「トーブト川」だった可能性があります。
ただ、更に古い地図を見てみると、現在の「ポント沼」の位置に「オン子トー」と記されており、現在の「トーブト川」の位置にも「ポントー」という沼が存在するように記されています。「トーブト川」がどちらの沼の入り口だったのかは結局不明なままですが、「ポント沼」がもともと「オンネトー」だったことがわかりました。……続きます。
ポント沼
(典拠あり、類型多数)
ということで「ポント沼」です。pon-to で「小さな・沼」だと思われるのですが、ポント沼からトーブト川に流出する川の名前は「オンネポツト湖川」という、これまた良くわからないネーミングになっています。沼からの流出河川ではないほうが「トーブト川」(沼・入り口)を名乗っているのは何故か……というところが気になって調べてみたところ、現在「ポント沼」を名乗っている沼がもともとは「オンネトー」という名前で、「ポントー」がトーブト川の上流部にあったことがわかりました。理由は不明ですが、「オンネトー」が「ポント沼」に変わってしまったようです。
そして、謎の「オンネポツト湖川」というネーミングですが、なぜか川の名前には本来の名前だった「オンネトー」がひっそりと生き残り、そして隣の川から引っ越してきた「ポント沼」の名前が「ポツト湖」という微妙な誤記含みで追加されたようです。
知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には、こんな風に記されていました。
(16) ポント(Pon-to) ポン・卜は「子・沼」の意。能取湖をオンネ・ト(親・沼)と云うのに対する。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.276 より引用)
ふーむ。すでに知里さんが調査した時点では「オンネトー」と「ポントー」の存在は忘れ去られていた、ということでしょうか。ちなみに、これは現存する「ポント沼」の話だと思いますが、別の呼ばれ方をされることもあったようです。能取湖の西にある小沼で,菱が多く生えているのでペカンペ・ウㇱト pekampe-ush-to「菱の実が・大勢居る・沼」とも云い,或はイユクㇱト(i-uk-ush-to イ「物を」,ウク「とらえる」,ウシ「いつも……する」, ト「沼」)「いつもそこで菱の実を捕える沼」とも云う。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.276 より引用)
「菱を採る沼」も、道内のあちこちでちょくちょく見かけますね。有名なのが「別寒辺牛」ですが、豊頃町の「育素多」や白老町の「ヨコスト川」なんかもそうじゃないか、と言われています。「ちょくちょく」という割に二つしか例示できていませんが、まぁ、そういうこともあります(開き直った)。www.bojan.net
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