2018年11月3日土曜日

「日本奥地紀行」を読む (86) 新潟(新潟市) (1878/7/9)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在しますが、今日は前回に引き続き、「普及版」では完全にカットされた「第二十一信」を読んでゆきます。

著作権

新潟で街ブラ(死語?)を堪能中のイザベラは、「大型の書店」で店主と会話を弾ませていました。当時の日本における書籍の値付けについては次のように記していました。

 本はきわめて安価です。日本の著者は作品六部の販売価格に相当する額を政府に支払って著作権を得ます。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.279 より引用)
「お金を支払って著作権を得る」というのは変な感じがしたのですが、実際に原文を確かめてみても Copyright is obtained by a Japanese author by the payment to Government of a sum equivalent to the selling-price of six copies of his work. とありました。売価 6 冊分の上納金が必要だったんですね……。

製本

続いて、書籍の装丁についての記載がありますが……

作品は木版で絹のような上質の紙に刷り、紙は二重にして外側にだけ印刷しますが、束ねる工程において、本体用紙より重い厚紙以上に上質のものを使っているのは見たことがありません。ただし手描きの絵本の場合は例外で、多くの場合錦や金色、銀色の材料を使って製本されます。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.279 より引用)
うーん。「木版」と言うからには活字以前の話なんだと思いますが、ちょっと想像がつかないですね。「手書きの絵本」のほうは「絵巻物」的なものの話なんだと思いますが、「巻物」では無さそうにも思えます。

この店主はことのほか話し好きで、またとても事情通らしく、日本の歴史、地理、植物に関する日本人の作品には以前ほど需要がないとわたしに語りました。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.279 より引用)
まぁ「文明開化」の時代ですから、舶来のものの人気が高くなり、その代わりに江戸時代から読みつがれてきた古典の人気が落ちてきた、ということなんでしょうね。「歴史」や「地理」は容易に理解できるとして、「植物」に関する書物のベストセラーが既に存在していた、というのは少々意外な感じもします。

二つ折り判の植物図鑑を見せてくれましたが、これは四巻あって分厚く、すべての植物の根、茎、葉、花、種子が描かれており(四〇〇種あります)、この上なく精密で、色も非常に忠実です。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.279 より引用)
どうやら百科事典的なものだったようですね。

「ことのほか話し好き」な店主は、イギリスにおける書籍の出版・販売についても興味津々だったようで、通訳の伊藤少年を介して色々と質問をしていたようです。そしてイザベラは、新潟の「大型の書店」における「小さな発見」を最後に書き添えていました。

宗教に関する書物は一冊もありませんでした。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.280 より引用)
イザベラの価値観では、これは「未開の象徴」に思えたのかもしれませんね。

提灯

書店を出たイザベラは、さらに商店めぐりを続けます。続いては「提灯屋」の話題です。

提灯は日本独特の魅力のひとつです。宗教的であろうがなかろうが、何百何千もの提灯なしにはどんな祭りも完結はしません。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.280 より引用)
ふーむ……。そう言えば 21 世紀の現代においても盆踊りの会場には必ず「提灯」がありますし、「提灯の無い祭り」というのは確かに考えがたいですね。提灯や行灯のように「薄紙に光を通す」というのも、なかなかユニークな発想に思えたのでしょうか。

夜は多くの家や店の表に提灯をともし、宿屋、茶屋、劇場は常時照明を絶やさず、徒歩の通行人、車夫は必ず自分の名を白地に赤か黒の漢字で記した提灯を携えています。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.280 より引用)
提灯と言えば赤いもの……という謎の先入観があったのですが、それは現代に限った話だったでしょうか。当時は「懐中電灯」なんてものがある筈も無いですから、懐中電灯代わりに「マイ提灯」を携帯していたのですね。ライトの代わりに使うわけですから、赤提灯では無理があるんでした。

イザベラによる「提灯の商品紹介」が続きます。

提灯の大きさは、お寺に下がっている直径三フィートか四フィート[約〇・九一─一・ニメートル]、長さ一〇フィートか二一フィート[約三─三・七メートル]のものから、幅四インチか五インチ[約一〇─一三センチ]、長さ一フィートの街中で持ち歩ける、折り畳み式の小型のものまでさまざまあります。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.280 より引用)
最も小さなもので幅が約 10 cm、長さが約 30 cm ということですから、1.5 リットルのペットボトルと似たような大きさですね。提灯は懐中電灯とは違って指向性が無いですから、ライトの代わりだとすると相当暗かったことでしょうね。

ただ、当時の提灯が実用一辺倒だったわけでも無かったようで、イザベラは既に「提灯の芸術性」に気づいていたようです。

提灯の飾りには創意、発想、センスが最大限に生かされ、その多くが、なかでも日常的に使うものはとくに、とても美しいものです。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.280 より引用)
「日常的に使うもの」に秀でた美しさを感じるとしたあたり、イザベラ姐さん、なかなか渋いですね……。お祭り用に作られる装飾豊かな提灯よりも、白地に赤い家紋が描かれただけのものや、ただ名前が記されただけのものが「一番素敵」なのだとか。

一軒の店で値段を尋ねたところ、八銭から八円まで幅があるとわかりました。どれかひとつでもほしいのですが、買えません。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.281 より引用)
イザベラの「提灯愛」はなかなか本格的なものだったようですが、何故「買えなかった」のでしょう。やはり荷物になるから……でしょうかね。

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