2018年10月27日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (575) 「オンネニタツ川・越歳・卯原内」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オンネニタツ川

onne-nitat
年老いた・湿地
(典拠あり、類型あり)
卯原内とリヤウシ湖の間を北に流れて能取湖に注ぐ、流長 3~4 km ほどの小さな川の名前です。ちらっと見た限りでは、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「戊午日誌」にも、そして「北海道蝦夷語地名解」にも記載は無さそうに見受けられます。まぁ、小さな川ですからね……。

ただ、ありがたいことに知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」にはちゃんと記載がありました。

(38) オンネニタッ(Onne-nitat) 「年老いた・湿地」。古くからあるヤチの義。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.278 より引用)
はい。onne-nitat で「年老いた・湿地」と考えて良さそうです。onne には「古い」「年老いた」という意味から転じて「親である」つまり「大きい」と解釈する流儀もあるのですが、オンネニタツ川の場合はそのまま素直に「昔からの湿地」で、少しずつ湿地らしさが失われていたのかもしれませんね。

越歳(こしとし)

riya-us-i
越冬する・いつもする・ところ
(典拠あり、類型あり)
網走市嘉多山(かたやま)の西に「デンソー網走テストセンター」というテストコースがあるのですが、このテストコースのあたりの一体の地名です。テストコースの西側には同名の川も流れています。

この字を見て「ああっ、なんで先週気づかなかったんだっ」と思ったのも後の祭りでして……。そう、もうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、久しぶりに「角川──」(略──)を見てみましょうか。

地名はアイヌ語りヤウシ(いつも越冬する場所)の和訳による。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.550 より引用)
はい、そういうことです。他ならぬ「リヤウシ」を意訳した、ということのようですね。riya-us-i で「越冬する・いつもする・ところ」と解釈できるのですが、「越冬」ではなく「越歳」としたのはセンスの良さを感じますね。

それにしても「リヤウシ湖」からちょっと離れていたので先週の時点では気が付きませんでした。もしかしたら嘉多山のあたりも含めた割と広い地名だったんでしょうか。

卯原内(うばらない)

u-par(a)-ray?
互いに・入り口(河口)・死んでいる
o-par(a)-ray?
そこで・入り口(河口)・死んでいる
o-para-nay??
河口・広い・川
upar-nay?
煤・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
かつて、中湧別から網走までを「国鉄湧網線」が走っていました。湧網線は、当時数多く存在したローカル線の中でもとても風光明媚であることで知られていました。

卯原内と言えばサンゴ草の群生地があることでも有名ですね。では、今回は久しぶりに「北海道駅名の起源」を見ておきましょう。

  卯原内(うばらない)
所在地 網走市
開 駅 昭和 10 年 10 月 10 日
起 源 アイヌ語の「オ・パラ・ナイ」(川口の広い川)、すなわち付近の能取湖にそそぐ小川の口が広くなっていることから出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.206 より引用)
なるほど。o-para-nay で「河口・広い・川」と解釈したのですね。ところが、永田地名解には違った解が記されていました

Upara rai  ウパラ ライ  口無川 「」ハ互ニ、「パラ」ハ川口、「ライ」ハ死ス、此川ハ三脈アレドモ皆川口ナシ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.477 より引用)
ふむふむ。u-par(a)-ray で「互いに・入り口(河口)・死んでいる」と考えたようです。

永田方正は明治の人で、知里さんは(昭和の)戦前から戦後にかけての人です。知里さんが自著「アイヌ語入門」で永田地名解を名指しで吊し上げたことは有名ですが、山田秀三さんによると、知里さんが地名調査をする際には必ず永田地名解を持参していたとのこと。知里さんは「分かっている人が読めば名著ですよ」と語っていたのだとか。

卯原内の地名解の話に戻りますが、知里さんは「永田地名解」の記載内容を把握した上で、独自に o-para-nay という解を出したと考えられます。もしかしたら、u-par(a)-ray では文法的に少しおかしい、と考えたのかもしれません。

「東西蝦夷山川地理取調図」は、卯原内の集落のあたりに「ウハラヽイフト」と記しています。ポイントは二つあると思うのですが、一つ目は、この表記からは nay ではなく ray と認識されていたと思われること、そして二つ目は、地名としては「(卯原内の)河口」を意味する -putu が付加されていた、ということです。

前者は永田方正が nay ではなく ray としたことを補強する材料と言えます。ところが後者は u-par(a)-ray-putu であれば「互いに・入り口(河口)・死んでいる・口(河口)」ということになり、少しだけ変な感じがします(ただ決定的におかしい、とも思えませんが)。

能取湖に注ぐ川の名前を眺めていると、他にも「オムナイ」などの名前がありました。これは o-mu-nay で「河口・塞がる・川」だと考えられ、河口部が流砂で塞がれて伏流する状態であったことを示唆しています。また、大正 13 年に測図された陸軍図を眺めてみても、それほど河口が広かったとも言えず、むしろ湖岸に砂地が存在していたことを伺わせます。

山田秀三さんの「北海道の地名」によると、「北海道駅名の起源」の昭和 25 年版は、昭和 29 年版の o-para-nay 説とは違った説を唱えていたとのこと。

 駅名の起源昭和25年版(知里博士はこの版から参加)は「オ・パラ・ライ(川口の死んでいる)から転訛した。能取湖に注ぐあたりが湿地で川口が明瞭でないところから出たものであろう」と書いた。ウをオと読んだ処が差である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.207 より引用)
うーん、実際の地形に即した良い解ですね。o-par(a)-ray で「そこで・入り口(河口)・死んでいる」と解釈できそうでしょうか。

なんかこれが一番しっくり来るなぁ……と思ったのですが、ところが更に別の説が出てきました。

 藤山ハル媼(樺太引揚げのアイヌ。ほど近い常呂町に住んだ。故人)は「ウパラ・ナイ。煤・川」と解しておられたとのことである(服部四郎博士による)。やちの中を流れる川なので,赤いやち水が流れ,黒っぽい浮遊物が流れていたのであろう。それをウパラ(upar,upara)のようだとして解されたのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.207 より引用)
ぐはぁ。確かに upar で「煤」を意味するようなので、upar-nay で「煤・川」というのは十分あり得る解釈です。もうここまで来ると好みの問題のような気もしますが(違うだろ)、個人的には o-par(a)-ray を本命に推して、そして upar-nay を大穴に賭けたいところです。

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