(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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モセウシナイ川
(典拠あり、類型多数)
能取岬のすぐ西側を流れている川の名前です。空知に「妹背牛」という町がありますが、おそらく由来は同じ……なんでしょうね。戊午日誌「西部能登呂誌」には次のように記されていました。
また崖の下しばし過
モセウシナイ
小川有、此処蕁蔴多く有る処なるが故に此名有りと。モウセは蕁蔴、夷言アイといへる草也。常に苧の易りに用ゆ。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.125 より引用)
また、永田地名解には次のように記されていました。Mose ush nai モセ ウㇱュ ナイ 蕁麻ノ川 今ハ蕁麻ナシ永田地名解の名台詞「崩壊シテ今ハ無シ」を彷彿とさせる言い回しですね。
知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」にも次のように記されていました。
(54) モセウシナイ(Mose-ush-nai) イラクサが多く生えている沢。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.280 より引用)
解釈については異論の余地は無さそうな感じですね。mose-us-nay で「イラクサ・多くある・川」と解釈して良いかと思います。ピラウトロオマナイ川
(典拠あり、類型あり)
能取湖がオホーツク海と繋がっている湖口の東に「美岬」集落があります(今は「美岬」という地名ですが、昔はそのまま「コタン」と呼んでいたようですね)。ピラウトロオマナイ川は、その美岬集落の 2~3 km ほど南で能取湖に注いでいる川の名前です。日高に「平取」という町がありますが、おそらく由来も似てる……のでしょうね(汗)。戊午日誌「西部能登呂誌」には次のように記されていました。
是より蘆荻欝叢たる岬一ツを廻り行てしばし過るや
ヒラウトルマナイ
岸両岸とも崩平也。此ヒラのまた間に一すじの沢有、よって号。其名義平の間の沢と云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.128 より引用)
はい。他に解釈のしようの無い地名でもあります(汗)。pira-uturu-oma-nay で「崖・間・そこに入る・川」と解釈できるでしょうか。oma の解釈はいつも悩ましいところですが、知里さんが世に広めた(と思う)「そこに入る」という解釈が意外としっくりくる場合が多いんですよね。ということで知里さん本人による「網走郡内アイヌ語地名解」の記述も見ておきましょうか。
(47) ピラウツ゚ロマナイ(Pira-utur-oma-nai) ピラ・ウツ゚ル・オマ・ナイ「崖・間・に入って行く・川」。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.279 より引用)
あっ、やはり。まだ「ナイ」が nai だったりしますが(最終的には nay に落ち着いた筈)、oma を「入ってゆく」と解釈する流儀は割と古くから編み出されていた?ようですね。トルカルシナイ川
(典拠あり、類型あり)
二見ケ岡の「レイクサイドパーク」の北側で能取湖に注いでいる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヤルカルシナイ」という名前で記されていますが、これはどうやら別の川だったようでした。ということで、戊午日誌には「トルカルシナイ」の記載がありませんでしたが、永田地名解に記載がありました。
Turi kar’ush nai ト゚リ カルㇱュ ナイ 椽ヲ取ル澤
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.478 より引用)
「椽」は「たるき」と読みます。昔、フランスのゴンファロンという片田舎に AGS という F1 チームが(ryコホン。「たるき」は釧路の「鳥通」(とりとおし)でも出てきたのですが、その時は「榱」という字が使われていました。「たるき」は……要は丸太のような木材、と考えていいんでしょうか。知里さんの「──小辞典」には「舟をあやつる棒」と記されていますが……。
とりあえず「トルカルシナイ」の解釈に戻りますと、turi-kar-us-nay で「たるき・取る・いつもする・川」と読めそうですね。
知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には、より詳しい説明が記されていました。
(43) ツ゚リカルシナイ(Turi-kar-ush-nai)ツ゚リ・カル・ウㇱ・ナイ「そこでいつもたるきを切った沢」。クカルシナイともいう。ク・カル・ウㇱ・ナイ ku-kar-ush-nai「そこでいつも弓を作った沢」。ここにイチイの林があってその木で弓を作ったのだという。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.279 より引用)
ふむふむ。turi-kar-us-nay の解釈にはブレは無いようですが、別名として ku-kar-us-nay で「弓・作る・いつもする・川」とも呼ばれていた、ということのようです。www.bojan.net
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