2018年10月14日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (572) 「バイラギ川・ウラレナイ川・能取岬」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

バイラギ川

pa-e-ratki-kus-nay
出先・頭・下の方へ下がる・通っている・川
(典拠あり、類型あり)
網走市二ッ岩を流れる川の名前です。バイラギ川の南には「ポンバイラギ川」も並流しています。道道 76 号「網走公園線」はここまでずっと海岸線沿いを通ってきましたが、バイラギ川を越えたところで一気に 50 m 近く上にある台地を駆け上がることになります。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ハイラキ」とあり、なんとも良くわからないなぁ……と思っていたのですが、戊午日誌「西部能登呂誌」には次のように記されていました。

並びて
     バイラツケ
此処崖の下なり。番屋有て夷人も住せしが今は絶たり。其名儀如何なるか土人等もしらず。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.119 より引用)
確かにバイラギ川の北は「崖」とも言えそうな地形になっています。では、続いて永田地名解を見てみましょうか。

Pairaki  パイラキ  川ノ名
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.475 より引用)
川の名……。「そうかその手があったか」と思わせる画期的な記述です。これから解釈に詰まった時はこの手を使わせていただきます。ありがとう永田っち。

戊午日誌では「地元民も知らず」、そして永田地名解では「川の名」という画期的な解釈?が出てきてしまい頭を抱えてしまったのですが、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」に記載が見つかりました。

(84) パイラキ(Pairaki) オンネ・パイラキ(Onne-Pairaki パイラキの親川)ともいう。パイラキはパエラケクㇱナイ(pa-e-rake-kush-nai) の下略。パ・エ・ラケ・クㇱ・ナイ「出崎・の突端・の下の所・を通っている・川」。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.283 より引用)
ひょえ~。なるほどっ、畏れ入りました。pa-e-ratki-kus-nay で「出先・頭・下の方へ下がる・通っている・川」と読み解けるのですね。ratki も頻度こそ少ないものの、地名では時折出てくる語彙ですね。

ウラレナイ川

rawne-nay
深い・川
(典拠あり、類型多数)
航空自衛隊網走分屯基地のあたりを水源として、東の網走湾に注ぐ川の名前です。割と深くえぐれた川で、道道 76 号は「美岬大橋」で越えています。

この「ウラレナイ川」、一体何が売られないのかが気になりますが(なりません)、音からは urar-nay で「もや・川」あたりに感じられます。ところが、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」を始め、様々な資料を見てみても、全く記録が出てきません。まるで「もや」の中に入ってしまったかのようです。

ただ、理由はすぐにわかりました。昔の地形図を見てみると、「ウラレナイ川」のところに「イナ子ウラ」と記してありました(戦前の地図なので右から読みます)。なるほど、「ラウネナイ」であれば確かに「東西蝦夷山川地理取調図」にも記載があります。

戊午日誌「西部能登呂誌」にも、ちゃんと次のように記されていました。

また並びて
     ラウ子ナイ
崖の間に一ツの沢有。其沢深きによつて号る。ラウ子は深きといへる儀也。此川滝川に成る。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.121 より引用)
はい。rawne-nay で「深い・川」ということですね。「深い」を意味する語彙としては oohorawne がありますが、ooho が「(水かさが)深い」という意味なのに対して rawne は「(谷が)深い」あるいは「深く掘れている」という意味です。

「ラウネナイ」が「ウラレナイ」になってしまったのは、うっかりミスがあった……ということなんでしょうね(汗)。

能取岬(のとろ──)

not-oro
岬・のところ
(典拠あり、類型あり)
能取湖の東に位置する半島の突端にある岬の名前です。宗谷岬から知床岬の間のオホーツク海沿岸では、最も大きい岬でもあります。

戊午日誌「西部能登呂誌」には次のように記されていました。

並びて
     シンノノツエト
詰りてシンノノテトと云り。此処第一の出岬にして、東はアバシリの岬と対し、西はトコロの岬と対す。本名は此処の惣名をノトロといへるが故によってシンノ三字を冠らしめし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.122 より引用)
どうやら「能取岬」自体のことは「シンノノツエト」と呼ばれていたようですね。「シンノノツエト」は sino-{not-etu} で「本当の・{岬の突端}」と解釈できそうですね。なぜ「本当の」を冠したのかは、常呂と網走にも小さな岬があったからのようです。

ノツエトはノツキヱトといへる儀にして、ノツキは頤(おとがい)のこと。ヱトは鼻の如くさし出たる形ちを云也。大岩峨々として海中に突出したる実に当所の第一岬也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.122 より引用)
いつになく細かい解説が続きます。「ノツエト」は正しくは「ノツキエト」だということですが、確かに notkir で「下顎」という語彙があるようです。ただ not でも「あご」を意味するので、大きな違いは無さそうですね。etu が「鼻」なのもその通りです。

「顎」と「鼻」の共通点は、どちらも「突き出している」というところにあるので、転じて「岬」を意味するようになったのでしょうね。岬を「鼻」と呼ぶ流儀はアイヌ語に限ったものではなく、、日本国内の到るところで目にすることができます。

また此処を
     ノ ト ロ
と云り。然しノトロは前に云如く此地の惣称。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.122-123 より引用)
現在は、岬の名前も湖の名前も「能取」(のとろ)ですが、これは not-oro で「岬・のところ」ということになります。つまり「能取岬」は「岬・のところ・岬」ということで、これまた自己言及的な地名ということになっちゃいますね。

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