2018年10月7日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (570) 「ライトコロ川・常呂」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ライトコロ川

ray-{to-kor(-pet)}
死んだ・{常呂(川)}
(典拠あり、類型あり)
野球の世界ではごく稀に「ライトゴロ」という珍プレーが見られますが、ライトコロ川は常呂川の西側を流れる川の名前です。もちろん野球とは何の関係もありません。

この「ライトコロ川」ですが、常呂川の支流ではなく、常呂町岐阜から西に流れて鐺沸でサロマ湖に注いでいます。そして、ray は「死んでいる」という意味で、地形では「流れがひどく停滞している様」を意味する場合があります(そのまま「死んだ」と解釈したほうが良い場合もあります)。

山田秀三さんの「オホーツク海沿岸の小さな町の記録」には、次のように記されていました。

 鐺沸市街と栄浦市街の間のところにライトコロ川が湖に注ぐ川口がある。ライ・トコロ(死んだ・常呂川。つまり常呂川の古川)の意。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.119 より引用)
どうやら山田さんは ray-{to-kor(-pet)} で「死んだ・{常呂(川)}」と考えたようですね。

常呂平野の奥、イワケシ山の裾にもライトコロの名が残っている。ごく古い時代に、常呂川がそのあたりから平野の西よりを流れ、上記のライトコロとつづいていて、サロマ湖に注いでいた名残りである。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.119 より引用)
ふむふむ。やはりそう考えるのが妥当だということでしょうか。ライトコロ川下流部の地形を見た感じでは、「死んだように流れの遅い常呂川」という解釈もできるので、一応ご紹介まで。

常呂(ところ)

tu-kor?
峰・持つ
to-kor?
沼・持つ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
訓子府から常呂川を下る形で地名を拾ってきましたが、ようやく河口である常呂までたどり着きました。皆さんご存知の通り、カーリングとホタテ漁が盛んな街です。

常呂町については、山田秀三さんと村崎恭子さんによる調査の記録が「オホーツク海沿岸の小さな町の記録」として残されているので、今回は全面的に乗っかってみようと思います(ありがたや……)。ということでまずは「常呂(ところ)の語義伝承」と題された導入部から。

 元来は常呂川の称であるが、川筋、とくに川口地帯の地名となり、現在は町名、郡名ともなったもの。語義は古くは「山崎(の川)」と書かれたが、明治中頃からは「沼の川」と解されるようになった。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.84 より引用)
どうやら二通りの説があるようですね。ということでまずは「山崎」説から見てみましょうか。

「山崎」説

「トコロ」の意味を「山崎」であるとしたのは、アイヌ語通訳のパイオニアとも言われる上原熊次郎でした。

《山崎説》 上原熊次郎地名考(文政七年一八二四)は「トゴロ。夷語ツ゚ゥコロなり・則山崎の在るといふ事、所崎山なる故此名ある由」と書いた。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.84 より引用)
「トゴロ」……、やはりゴロだったのでしょうか(違う)。気になって「アイヌ語地名資料集成」に収録されている「蝦夷地名考幷里程記」も見てみましたが、同じく「トゴロ」になっていました。

「ツ゚ゥ」の発音については、山田さんの文を引用しておきましょうか。

アイヌ語には当時の日本語にないトゥ(tu)という音があり、彼はそれをツに丸点を打って書いた。日本語のツにあたる音という意味であったろう。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.84 より引用)
なるほど、tu に対応するカナが無かったので「ツ゚」という表現を編み出した、ということですね。この tu については「ト゚」と表記する流儀もありますが、まだ「ツ゚」のほうがイメージが湧きますね。現在はどちらの流儀もあまり使われることがなくなり、素直に「トゥ」と表記することが多いようです。

「ホンダ・ツ゚デイ」と「ホンダ・ト゚デイ」だったらどっちが分かりやすいかと云うと……どっちもダメな気がする(ぉぃ)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「トコロ」と記されている一方で、戊午日誌「西部登古呂誌」には次のように記されていました。

其題名登古呂とは、此番屋元の名にして、往古はツ゚ウコロと言しよし也。またツウとは山崎の事を云、コロとはヲツの略言にして、有るといへる訳なり。此処は山の崎に在りといへる義なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.147 より引用)
松浦武四郎さんは、時折「おっ」と思わせる解釈を記すことがあるのですが、今回だと「コロとはヲツの略言にして」というのが面白いですね。現代の解釈では kor は「持つ」という意味で、ot は「群在する」という意味だとされています。まぁ似たようなものと言っても間違いでは無いのですけどね。tu-kor で「峰・持つ」と考えたようです。

それはそうと、肝心の「トコロ」の解釈が上原説とそっくりなのが興味深いですね。松浦武四郎は上原熊次郎地名考を見たのか……というところも気になりますが、山田さんは次のように考えたようです。

 この書は世に出なかったらしいが、幕末に刊行されたのちの地名解書の著者等はこれを読んだようで、言葉使いまで同じ形の解を書いた。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.84 より引用)
ふむふむ。世に出なかったとは言え、いわば「業務用」の資料として細々と出回ったといったところでしょうか。

松浦武四郎の戊午日誌や、郡名建議書もほとんど同じ形である。つまり、少なくとも明治初年までは上原熊次郎に始まった山崎説で常呂の語義が書かれてきたのであった。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.84 より引用)
ここは割とポイントかもしれません。どうやら幕末から明治の頃までは「山崎」説でコンセンサスが取れていたと思われるのですね。

「沼川」説

ところが、この「山崎」説に疑問を投じたのが永田っち……ではなく、白野夏雲という人物なのだそうです(初めて聞く名前のような)。

《沼川説》 明治二〇年代に白野夏雲が沼川説を書き、さらに永田方正の地名解(明治二四年一八九一)は「現今の常呂川は常呂村の岬側に至り海に注ぐと雖も往時は猿間湖(サロマ湖)に注ぎたり。故に猿間湖にライトコロと呼ぶ古川あり。是は往時猿間に注ぎたる本流なり。抑々トコロペッとは沼を有つ川、或は沼の川とも訳すべし。猿間沼に注ぎたるを以て此名あるなり」と書き、それまでの山崎説を非なりとした。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.84-85 より引用)
ふーむ。確かに説得力のある仮説です。特に「ライトコロ川」が「常呂川」の旧流だったとして、サロマ湖に注ぐライトコロ川の存在から to-kor で「沼・持つ」なのだ、という論理展開はお見事です。この新説のインパクトは大きかったのか、「峰・持つ」説はその後徐々に影を潜めることになります。

ただ、to-korto を「サロマ湖」と見るか、あるいは川の「河跡湖」と見るか、解釈は複数に分かれるようです。

山田さんの考え

山田秀三さんは両方の説を時系列順に紹介した上で、次のように記していました。

 まずごく古い時代に湖って常呂の記録を調べると、そのころの常呂は、津軽一統志附図(推定一六七〇)、元禄郷帳(一七〇〇)、松前志摩守松前嶋絵図(一七〇〇)、新井白石蝦夷志(一七二〇)、蝦夷商買聞書(一七四〇年代)、松前広長松前志( 一七八一)、林子平三国通覧図説の一本(一七八五)などなどに出てくるが、そのどれにしてもツコロで書かれていたのであった。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.85 より引用)
上原熊次郎地名考が書かれたのは 19 世紀で、当時は既に「トコロ」と表記されるのが一般的だったのだそうです。それでありながら「ツ゚コロが原形である」としていることは重要ではなかろうか、というのが山田さんの考えだったようですね。

 アイヌ語に堪能な大通訳であり、アイヌ長老たちと親しかった彼が、アイヌ社会に記憶されていた元来の音を聞いて書いたものであろう。旧記時代のツコロはこの音に仮名をあてたものだったと解すべきらしい。そんな意味でも、もっとも古く書かれた上原氏の「山崎」説を元来の地名伝承として、改めて見直すべきでなかろうか。
(山田秀三「アイヌ語地名の輪郭」草風館 p.85 より引用)
そだn……いや、そうですよね。

ということで

改めて両方の説について考えてみました。to-kor(沼・持つ)については概ね妥当な解に思えます。あえて疑問を呈するならば、サロマ湖への流入河川は他にもあるわけで、何故に常呂川を特別視するのかという点があるのですが、大きなサロマ湖ではなく、かつての海への出口だった栄浦から鐺沸のあたりのサロマ湖を指した……と考えれば納得できます。

tu-kor(峰・持つ)については「平地が広がる常呂のどこに峰があるのだろう」と頓珍漢なことを考えてしまったのですが、常呂川と能取湖の間に思いっきり峰が聳えているではありませんか。佐呂間町のほうから常呂川を見ると、背後に山が聳えているように見える筈なので、tu-kor-pet(峰・持つ・川)と呼んだというのは蓋然性が高いように思われます。

実際の地形と照らし合わせて妥当性を検討する……といういつものアプローチでは、正直なところ五分と五分に思えます。ただ、山田さん(と共同研究者の皆さん)による時系列順の考証を考慮に含めると、やはり tu-kor-pet(峰・持つ・川)説に一票を投じたくなるかな、というのが率直な常呂……じゃなくてところです。

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