(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
ホロイッチャン川
(典拠あり、類型あり)
常呂川の支流で、置戸町と訓子府町の境界となっている川です。よくある名前の小さな川なんですが、意外なことに戊午日誌「西部登古呂誌」や「東西蝦夷山川地理取調図」にも記載のある、由緒正しい?川です。少し上りて
ホロイチヤン
此処は右(左)のかたに有小川也。此川口鱒・鯇多く卵を置が故に号るとかや。ホロは多し、イチヤンは卵を置処の名也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.196 より引用)※ カッコ内の註は解読者による
「右」を「左」に改めたのは秋葉実さんですが、確かに「東西蝦夷山川地理取調図」にも左右(南北)逆に描かれています。まぁ、この程度の違いは割とよくある話なので、あまり気にしないのが吉ですね。
意味するところは明瞭で、poro-ichan で「大きな・サケマスの産卵穴」となります。より正確には「サケマスの産卵穴が多くある川」ということになろうかと思います。
「東西蝦夷山川地理取調図」によると、「ホロイチヤン」の下流側に「ホンイチヤン」(pon-ichan?)もあるように記されていますが、具体的にどのあたりを指していたのかは不明です。
タンノメム川
(典拠あり、類型あり)
訓子府の市街地は、訓子府川沿いではなく常呂川沿いにあります。川の南北には河岸段丘が広がっているのですが、タンノメム川は市街地の西側、河岸段丘の麓を流れています。昔の地図を見てみると、市街地の北側(現在の「川北幹線水路」に近いあたり?)に「タン子メム」という川が記されています。面白いのは、「タン子メム」は常呂川の分流として描かれているところで、現在の訓子府の市街地は「中洲」だったと言えるのかもしれません。
意味するところはおそらくそのまんまで、tanne-mem で「長い・泉池」なのだと思います。川なのに「泉池」というのはちょっと解せない感じもしますが、もしかしたら「旧河道」に近い状態だったのかもしれませんね。
オシマ川
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
訓子府町南部を流れる常呂川の南支流で、シルコマンベツ川とオロムシ川の間を流れています。「戊午日誌」や「東西蝦夷山川地理取調図」には記載がなく、永田地名解にも記載が無さそうに見えます。そもそもアイヌ語由来なのかどうかを慎重に検討する必要があるのですが……
仮にアイヌ語由来だったとすると、osmak(-nay?) で「背後(・川)」とは考えられないでしょうか。オシマ川を遡るとオロムシ川の「背後」に出そうに見えるので……。
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