2018年9月8日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (561) 「ホルンアショロ川・フウタツアショロ川・白水川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ホルンアショロ川

poru-un-{esoro}(-nay)
洞穴・ある・{足寄}(・川)
(典拠あり、類型あり)
足寄町鳥取の北東で足寄川に合流する支流の名前です。どことなくスイスっぽい雰囲気の名前ですが、鳥取ですからね……(ぉ

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には、次のように記されていました。

ホルウンアショロナイ
三十五線沢(地理院・営林署図)
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.180 より引用)
ふーむ。確かに昔の地形図には「ホルンアシヨロナイ」と記されていますね。また別の地形図には「ポルンアシヨロ」とありました。

 松浦報十勝誌は「ホルナイ左(※右のまちがいか)の方小川。此川すじ川底に穴多く有るよりして号る也」と記した。
 ポル・ウン・アショロナィ(poru-un 洞穴・ある・足寄川)と解したのである。この沢の下流は平坦地であるが、中流から上流にかけては峡谷で川底は深くその川底付近のところどころに松浦日誌のとおりの、洞穴が見られるのであった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.180 より引用)
ふむふむ……あれっ? これって上足寄の「ホルウンナイ川」とそっくりですよね。ホルウンナイ川は poru-un-nay で「洞穴・ある・川」でしたが、ホルンアショロ川は poru-un-{esoro}(-nay) で「洞穴・ある・{足寄}(・川)」と考えれば良さそうでしょうか。

そして、「東西蝦夷山川地理取調図」や戊午日誌「東部報十勝誌」に記されていた、幻の「モアシヨロルヘシヘナイ」の謎もこれで解けるのかもしれません。「ホロナイ」(現在のホルウンナイ)の更に上流に「モアシヨロルヘシヘナイ」があるという情報が、どこかでこんがらがって「ホルンアシヨロナイ」の上流側に「モアシヨロルヘシヘナイ」がある、と間違えられてしまったのでしょう。

今頃気づいたのですが、よく見ると永田地名解にも「モ アショロ ル ペシュ ベ」という記録がありますね。足寄川の最上流部にあるような位置に記されているのですが、あるいは現在の「六百三十七点沢川」あたりを「モアショロルペシュペ」と呼ぶ流儀があったのでしょうか……?

フウタツアショロ川

ut-tap-{esoro}?
肋・肩・{足寄川}
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
足寄川最上流部の支流(北支流)のひとつです。もちろんエンタツアチャコとは関係ありません。

久しぶりに、永田地名解からの引用です。

Hūtat ashioro  フータッ アショロ  笹灣 安政帳ニ據レバ大笹原ノ義ナルベシ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.328 より引用)
「湾」という謎の表現がありますが、これは「螺湾」とは関係なくて、「アショロ」を「湾」(us-oro?)と解釈した永田説によるものです。

一方で、戊午日誌「東部報十勝誌」には次のように記されていました。

又しばしを過て
     ウツタフアシュロ
右のかた相応の川也。此辺樺多き処故に此名有る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.330 より引用)
このあたりの戊午日誌は「聞き書き」のため、信頼性には若干の疑問符を挟むべきですが、ここでは「左りの方」が「右のかた」に間違えられている……と見るべきでしょうか(実際には北支流なので、源流に向かって「左側」から流入しています)。

さてフウタツアショロ川ですが、永田方正は「笹」とし、松浦武四郎は「樺」としました。戦前・戦後を通して足寄営林署に勤務して再三この沢に入ったと仰る鎌田正信さんは、以下のような解釈を記されていました。

沢筋の南斜面と沢口から本流にかけて見事な樺の林があったことを記憶している。
 プッ・タッ・ウㇱ・アショロ「put-tat-us 川口に・樺の木(皮)・多くある・足寄川」の意。現在も部分的ではあるがシラカバ・ウダイカンバの樹林が見られる。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.180-181 より引用)
なるほど、実際に土地勘のある方の解釈は重みがありますね。

永田地名解の「笹」については確かに hutat で「笹(の葉)」という語彙があるのですが、知里さんの「──植物編」によると《長萬部,幌別,穂別》で記録されたとあります。道東では huras(葉)あるいは ikitara(茎)と呼ばれたようなので、「フウタツ」の語源としては微妙な感じがします。

鎌田さんの put-tat-us-{esoro} で「河口・樺の木(皮)・多くある・{足寄川}」というのも優れた解だと思うのですが、ut-tap-{esoro} で「肋・肩・{足寄川}」とも解釈できてしまうなぁ……と気づきました。河口のすぐそばまで尾根が伸びている姿を「肩」と表現したとしたならば、割と合致すると思えるんですよね。

平取町の「ポンモワァップ川」の地名解もご参考にどうぞ。

白水川(しろみず──)

wakka-wen-{esoro}-nay
水・悪い・{足寄}・川
(典拠あり、類型あり)
名前からは語学書が流れてきそうな印象がありますが(ありません)、足寄川最後の南支流、と言ったところでしょうか(なんか映画みたい)。

昔の地形図を見てみると、現在の「白水川」のところに「ワッカウエンアシヨロナイ」と記されています。この川について、永田地名解には次のように記されていました。

Wakka wen ashioro  ワㇰカ ウェン アショロ  惡水灣 安政帳ニ據レバ惡水ノ大原ノ義ナルベシ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.328 より引用)
「悪」の旧字体って青筋が立っているみたいでリアリティありますよね。「湾」についての補足は「フウタツアショロ川」の項で記したとおりです(多分 us-oro だと思います)。

戊午日誌「東部報十勝誌」にも次のように記されていました。

またしばしを過て
     ワツカウエンアシユロ
左りの方小川。此川水わろきよりして号る也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.330 より引用)
鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」も見ておきましょうか。

地元では濁川と呼ばれ、そのとおり川の水は白濁している。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.181 より引用)
ああやはり。1980 年頃の「土地利用図」には「白水小川」の源流部にほど近いところに「中島鉱業所」という名前が記されていますが、どうやらここに硫黄鉱山があったようです(twitter でもその旨ご教示いただきました)。

本題に戻りますが、白水川の元の名である「ワッカウエンアショロナイ」は wakka-wen-{esoro}-nay で「水・悪い・{足寄}・川」と考えて良さそうです。硫黄分が混入した水は飲用に堪えないため「水の悪い足寄川」と呼ばれ、水の色が乳白色に見えたから「白水川」と呼ぶようになった、ということなんでしょうね。つまり、「白水川」はほんの僅かに意訳地名だったということで(強引だな)。

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