町の中心部を通り過ぎ、田老川を渡ったところに「三陸大津波 ここまで」の案内もありました。
ちなみにこの「三陸大津波」は 昭和 8 年(1933 年)の出来事とのこと。満州事変の 2 年後、ということになりますね。
200 m ほど進んだところには、いつもの「過去の津波浸水区間」の案内がありました。こういった標識で、日頃から危険な区域を認識しておくのは良いことですよね。
本州最東端のまち宮古
宮古市には「本州最東端のまち宮古」というオブジェがありました。なるほど、地理的なアピールというものもいろいろ考えられるんですねぇ……。そして、毎度おなじみ海抜 80 m から海抜 2 m への下り坂です。そのうち、長い下り坂に遭遇すると「ああ、街が近いんだな」と思えるようになります。
このあたりの国道 45 号は、1960 年代に建設されたバイパスが今でも現役のようです。釜石方面に向かうには一旦右折です。
海沿いの現道を選択
ということで、閉伊川沿いを 500 m ほど西北西に進んで……市役所の前の交叉点を左折です。2015 年当時でも、三陸自動車道の「宮古中央 IC」と「宮古南 IC」の間は開通済みだったのですが、宮古中央 IC に向かうには随分を西に行かないといけないので、このときはスルーしたのでした。
「宮古大橋」で閉伊川を渡ります。さぁ、まだまだ南に進みますよ!
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿