前方右側の土手が、将来「久慈北道路」(八戸久慈道の一部)になる予定でしょうか。ガードレールの向こう側は対向車線ですが、もともとは準直結 Y 型 IC の準備工事が為されていたため上下線は離れた位置に存在していました。
ところが、久慈道路を延伸するにあたって(工費を削減するためか)平面 Y 型に構造を変更するようで、そのために準直結 Y 型を想定していた出口車線は閉鎖され、入口車線の横に出口車線(おそらく仮のものと思われます)を設けたようです。
2015 年 5 月の時点では、当初の出口車線が使用されていて、仮設車線の手前に単管バリケードが置かれて誤進入できないようになっていました。
ところが、2015 年 8 月に撮影された Google ストリートビューでは、既に仮設車線の使用が開始されていました。
なるほど、大量のお猿さんは、本来の出口車線を封鎖するために準備されていたんですね。久慈北 IC の歴史を紐解く上で重要な情報です(かなりどうでもいいと思う)。
1993 年供用開始
久慈道路は「八戸久慈道」の一部ではありますが、1993 年に供用開始とのことで飛び抜けて古かったりします。確かにカーブも比較的急で、自動車専用道では無さそうな雰囲気です。センターラインの位置に埋め込まれていた縁石もなくなり、ふつーに国道のバイパスっぽい雰囲気になりましたが、ここもギリギリ「久慈道路」です(逆光で見づらいですが、前方に「久慈道路 ここまで」の案内が出ています)。
こんなところまで「津波浸水区間」
キレが無く、全体にぼんやりした雰囲気の写真ですが、よく見ると再び派手に霧が出ていますね。自動車専用道路としての「久慈道路」は「久慈 IC」までで、この先の「久慈大橋」はふつーに国道のバイパスです。十字路もあれば信号もあるということで、信号待ちの間にパシャリと(死語)。「津波浸水区間」のアピールを怠ることはありません。
それはそうと、信号待ちの間に悩ましい事実に気が付きました。仙台まで、あと確か 350 km ほどだったと記憶しているのですが、今のペースのまま行けばギリギリ燃料が足りるか足りないか、というところのようです。
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