(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
シュマルウップネナイ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
足寄川の北支流で、カアカルシナイ川の東側(足寄町中足寄集落の東側)を流れています。道北の中頓別に「周麿」と書いて「しゅうまろ」と読ませる地名がありますが、そこには「シュウマロネップ川」が流れていました。きっと似たような地名なのでしょうね。
戊午日誌「東部報十勝誌」には次のように記されていました。
又しばし過て
シユマルフ子ナイ
左りの方小川。此辺惣て峨々たる高山に成りし也。其間大岩簇々と有よりして号。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.329-330 より引用)
鎌田正信さんの「道央地方のアイヌ語地名」には、次のようにありました。シュマ・エ・ルㇷ゚ネ・ナイ(shuma-e-rupne-nay 石・が・大きい・川)の意である。この付近の沢には大きな石は少ないが、たまたまこの川の川口には石は多く、出口のまん中に特に大きな石が見られたが、果たしてそれをさして名づげたかどうなのかはわからない。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.176 より引用)
ん、随分と凝った解が出てきましたね。これはどうしたものか……と思ったのですが、よく見ると見出しが「シュマウルㇷ゚ネナイ」となっていました。なるほど、「ウ」を e と解釈したのですね。現在の地理院地図では「シュマルウップネナイ川」となっているので、素直に suma-rupne-nay で「石・大きくある・川」と解釈することができます。しかしながら、昔の地形図を見てみると、確かに「シュマウルㇷ゚子ナイ」とあるので、鎌田さんのような解釈が必要になるのかもしれません。
suma-o-rupne-nay で「石・そこで・大きくある・川」という解釈は可能なのかもしれませんが、戊午日誌に記されているように、素直に suma-rupne-nay だった可能性も十分ありそうな気がします。
ポンテヨイナウシ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
足寄町奥足寄のあたりで足寄川に合流する南支流の名前です。どことなくミスタードーナツっぽいネーミングで、また「おいでよ稲牛」的な趣も感じさせる名前ですね(それはどうかと)。この「ポンテヨイナウシ川」、「イナウシ」は「稲牛」でほぼ確定として、「テヨ」あるいは「ポンテヨ」がさっぱり意味がわかりません。やはり稲牛に行けば「いいことあるぞ~」と考えるしか無いのか……(それもどうかと)。
「ポンテヨイナウシ川」は比較的小さな川だからか、地理院地図には記載がありません。また昔の地形図にも記されていないこともあり、端的に言えばネタが尽きました(汗)。
pon-tay-o-{inaw-us-i} で「小さな・林・多くある・{稲牛}」なんて解を無理やりひねることもできなくは無いのですが、多分違うような気がしています。
そもそもこの川は稲牛川筋では無い……というところがポイントのような気がしていて、ちょっと大胆な仮説ではありますが、「テヨ」が「クシ」だったと考えてみたいです。であれば pon-kus-{inaw-us-i} で「小さな・通行する・{稲牛}」ということになり、「稲牛に向かう川」だったんじゃないかと。
キキロナイ川
(典拠あり、類型あり)
足寄町螺湾の西側で足寄川に合流している南支流の名前です。早速ですが鎌田正信さんの「道央地方のアイヌ語地名」を見てみましょうか。キロロナイ
キロロナイ沢(営林署図)
螺湾市街の下手で足寄川は大きくう回している。その突出部に南側から流入している小沢。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.177 より引用)※ 原文ママ
あらら。本別には「嫌侶」があり、また R274 で本別大坂を登った先の浦幌には「貴老路」があります(どちらも読みは「きろろ」)が、それにつられちゃいましたかね……。この川の名前は「キキロナイ川」です。キキㇽ・オ・ナイ(kikir-o-nay 虫・そこにうようよしている・川)の意であ
る。知里分類動物辞典によると、蚊を地方によってはキキㇽというていたとあ
る。この沢にはたくさんの蚊がいたのであろう。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.177 より引用)※ 原文ママ
そうですね。kikir-o-nay で「虫・多くいる・川」と考えるのが自然かと思います。www.bojan.net
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