(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
姉別(あねべつ)
(典拠あり、類型あり)
十弗川の西支流の名前です(現在の地形図では「アネベツ川」となっています)。支流ではありますが本流とほぼ平行に流れていて、細くて長い川といった印象があります。1980 年代の地図を見ると途中の集落に「姉別」という文字があったのですが、現在の地形図には「姉別」の文字はありません。地名としては既に失われているようにも見えます。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。
姉別川 あねべつがわ
十弗川の西支流。案外長い川である。アネ・ペッ(ane-pet 細い・川)の意であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.294 より引用)
……でしょうね。ane-pet で「細い・川」と考えられそうです。十日川(とおか──)
(典拠あり、類型あり)
「日本最東の(高速道路の)料金所」があることで知られる? 道東道・池田 IC のすぐ南西側を流れる川の名前です。道東道にも「十日川橋」がありますね。完全に見逃していたのですが、よく見ると「東西蝦夷山川地理取調図」に「トウカ」という名前で記されていて、永田地名解にも記載があったりします。
Tō ka トー カ 沼上 沼ヨリ出ル川ニ名クそうか、その手があったか……と言いたくなるような解ですね。山田秀三さんの「北海道の地名」にも次のように記されていました。
今の 5 万分図には沼が見えない。明治 29 年図では中下流が低湿原である。その中に沼があって,その辺をトー・カ(沼の・岸)と呼んでいたのだろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.295 より引用)
あっ。ka は「かみ(上)」という意味だと認識していましたが、ya と似たような感じで「岸」とも解釈できるのですね。ただ、永田地名解の「沼の上(のほう)」という捉え方でも別段問題なく解釈できるので、今回は to-ka で「沼・かみ(上)」としておきましょうか。to-ka の後ろがどこかのタイミングで省略された可能性があるんじゃないか、と思っています。
パンケ川
(典拠あり、類型あり)
「ついにネタに事欠いてこんな自明な川名を出してきたか……」と思われるかもしれませんが、間違ってはいない……かも(汗)。池田町北部に「高島」という集落があります。高島の西側に国道 242 号の「高島橋」がかかっていますが、パンケ川は「高島橋」の南側で、ペンケ川は「高島橋」の北側でそれぞれ利別川に注いでいます(いずれも西支流です)。
現在は「パンケ川」「ペンケ川」という名前ですが、元々は「パンケペッポ」「ペンケペッポ」だったようです。戊午日誌「報登加智誌」には「ハンケエツホ」「ヘンケエツホ」と記録されています。
永田地名解には次のように記されていました。
Panke pet po パンケ ペッ ポ 下ノ小川
Penke pet po ペンケ ペッ ポ 上ノ小川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.302 より引用)
(2018/6/24 追記)この記載は、本別町に存在したとされる「パンケペッポ」と「ペンケペッポ」を指していた可能性があります。但し、本別町に存在したとされる「パンケペッポ」と「ペンケペッポ」は明治期の地形図には既に記載が無いため、「パンケペッポ」と「ペンケペッポ」を本別町域にあるとしたのは「東西蝦夷山川地理取調図」と永田地名解の間違いだった可能性もあります。
確かに pet-po の -po は指小辞なので、pet-po は「川・ちっちゃい」と解釈することが可能です。ただ実際のパンケ川とペンケ川は、たとえばアネベツ川や十日川あたりと比べても、それほど「小さい」わけでもありません。
この謎について、更科さんは釧路町「別保」の地名解として、次のように記していました。
アイヌ語ペッ・ポは川の子供の意。魚族が少なくあまり役にたたない川の意である。湿原の川で魚がのぼらなかったからである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.266 より引用)
この解釈がパンケペッポ・ペンケペッポに当てはまるかどうかは要検証ですが、可能性としてはありそうですよね。とりあえず今日のところは panke-{pet-po} で「川下の・{小さい川}」としておきますが、更科さんが言及したようなニュアンスを考慮していただけたら良いかもしれません。親牛別川(おやうしべつ──)
(典拠あり、類型あり)
池田町の地名もほぼピックアップし終えただろう……と思っていたところで、新ネタが飛び込んできました。池田町と本別町の町境の近く(池田町側)を流れる東支流の名前です。現在は、西北西に流れた後、平野部でやや蛇行して利別川に注ぐ川の名前として使われているようですが、本来は「平野部でやや蛇行して利別川に注ぐ川」の名前だったようです。現存する「親牛別川」のうち、平野部が「オリジナルの親牛別川」と考えられそうですね。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。
親牛別川(おやうしべつがわ)
利別川左支流。オ・ヤ・ウシ・ペッ(いつも川口に網をかける川)の当字。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.236 より引用)
そうですね、そう読み解くのが一般的でしょうか。o-ya-us-pet であれば「河口・網・いつもある・川」と読めそうです。www.bojan.net
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