2018年6月3日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (539) 「ソウシベツ川・オピリネップ川・ピリカペタヌ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ソウシベツ川

so-us-pet
滝・ある・川
(典拠あり、類型あり)
戸蔦別川の南支流の名前です。so-us-pet で「滝・ある・川」なんじゃないの、と言われたら……その通りなんですけどね(汗)。

念のため(?)永田地名解を見ておきましょうか。

Sō ush pet  ソー ウㇱュ ペッ  瀧ノ川 小瀑アリ松浦地圖「ソーサンウシベツ」トアルハ非ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.314 より引用)
確かに「松浦地図」こと「東西蝦夷山川地理取調図」には「ソウシヤウシベツ」という川の記載がありますが、よく見ると「トツタヘツ」ではなく「イワナイ」の支流として描かれていますね。「滝のある川」はあちこちにあるでしょうから、永田方正の言うように「松浦図の間違い」なのか、あるいはどちらも存在していたのかは断定できないような気もします。

オピリネップ川

o-piri-ne-p?
川尻に・傷・のような・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
十勝幌尻岳の北東部から北に向かって流れて、「幌後橋」の近くで戸蔦別川に合流する支流の名前です。今回も「永田地名解」を見てみましょう。

オピリネㇷ゚  大石ノ處 アイヌノ言ニ從フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.315 より引用)
ふーむ。「アイヌがそう言ったから」という注釈をつけているのが若干意味深ですね。これは若干引っかかるものを感じたからか、あるいは永田氏自身では解を思いつかなかったからか、どっちなんでしょう。

鎌田正信さんは、自著「道東地方のアイヌ語地名」において次のように記されていました。

オ・ピッ・ネ・プ「o-pit-ne-p 川尻に・大石・がある・もの(川)」の意。急流のこの沢には、大きな転石が押し出されているところから、名づけられたのであろう。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.71 より引用)
ふーむ、なるほどねぇ。永田地名解の言う「大石の所」は、逐語的にはこのように解釈できるのですね。ただ、ne を「──がある」と解釈するのには、若干引っかかるものを感じます。

一旦、永田地名解の解釈を無視して素直に読み解いたならば、o-piri-ne-p で「川尻に・傷・のような・もの」と解釈できそうな気がします。「傷とはなんぞや」という話ですが、山肌に刻まれた細く深い谷のことを「傷」と呼ぶ流儀があったようです。

オピリネップ川は「傷」と呼ぶには少々規模が大きいような気もしますが、あるいは谷の部分だけ地面が剥き出しになっていたとか、そんな特徴があったのではないかなぁと想像してみました。

ピリカペタヌ沢川

pirka-{pet-aw}
美しい・{枝川}
(典拠あり、類型あり)
オピリネップ川が戸蔦別川と合流するところに「幌後橋」という橋がかかっていますが、そこから戸蔦別川を遡ったところに「トッタベツヒュッテ」という建物があるそうです。ピリカペタヌ沢川はトッタベツヒュッテの近くで戸蔦別川と合流しています。戸蔦別川の支流としては、岩内川を除けば最大規模でしょうか。

意味するところは明瞭で、pirka-{pet-aw} で「美しい・{枝川}」でしょう。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」にはこんなエピソードが綴られていました。

昭和 29 年(1954)の台風 15 号に引き続き 30 年の日高山系には、かつてない大豪雨が集中した。国有林はこの豪雨で、これまでにない崩壊地の発生によって、多量の土石や流木が流出したのである。このピリヌペタヌも、その被害からのがれることができず、美しい森林の中を流れていた川は、奥深くまで広い土石川原と化してしまった。しかし最近川原には、若い広葉樹林が繁茂しており、徐々に昔の面影をとりもどしつつある。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.71 より引用)※ 原文ママ

河川の現況は Google Map などで確かめることが多いのですが、現在では樹木が「これでもか!」とばかりに繁茂しているように見受けられます。自然の力強い回復力に感謝ですね。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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