(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ヌプカウシヌプリ
(典拠あり、類型あり)
鹿追から糠平(上士幌町)に抜ける道道 85 号「鹿追糠平線」という道路があるのですが、この道路は「西ヌプカウシヌプリ」と「東ヌプカウシヌプリ」の間の「白樺峠」を通って然別湖に向かいます。西ヌプカウシヌプリの南側に「扇ヶ原展望台」というところがあって、その名の通りの眺望が楽しめるビュースポットです。山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょうか。
ヌㇷ゚カウㇱヌプリ
然別湖の南側に東と西のヌプカウシの両山が並んでいて,広大な十勝平野の北西を限っている。ヌプ・カ・ウシ・ヌプリ(nup-ka-ush-nupuri 野の・上に・いる・山)の意。前の処はヌプカ(野原)と続けていったのかもしれない。南側の広い台地の野の上にいらっしゃる山という名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.318 より引用)
はい。異論はありません。nup-ka-us-nupuri で「野・かみ・ある・山」と考えていいかと思います。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、ちょっと面白い話があったので、こちらも引用しておきましょう。
ヌプカウシヌプリは原野の上に群生しているという意味で、萱山ともなるが、この山は十勝平原を縦横に馳けまわって狩をした人々に、方向を知らせる重要な山として崇拝されたところなので、むしろ原野にいつもいる山で、原野の山と呼んだものと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
ポイントを掻い摘んで引用したいのですが、一文が長いせいでこうなってしまいました(汗)。「萱山ともなるが」という一節には少々疑問がありますが、おおよそ同意です。「原野にいつもいる山」というのは当たり前と言えば当たり前なのですが、ランドマークとして重宝したが故のネーミングだと考えるとなかなか深い感じがします。大雪山系のオプタテシケが雌阿寒の投槍にさされようとしたとき、途中で投槍をおさえるためにこの山が立ち上ったので、山の中から原野に出て、、もといたところに水がたまって、然別湖になったという伝説のある山。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)※ 原文ママ
この文を見て「はぁ、何言ってんだ!?」となるか、あるいは「へぇ~っ。面白い!」となるかが分かれ道、ですね(何の)。新得町と美瑛町の間に聳える「オプタテシケ山」には次のような伝説があったのでした。
オプ・タㇷ゚・テシケとは槍が肩をそれたという意で、太古この山と雌阿寒岳が槍投げをして争い、雌阿寒の投げた槍で肩を傷つけられたという伝説がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.134 より引用)
何故山同士が喧嘩するのか今ひとつ良くわからないのですが、東西ヌプカウシヌプリが喧嘩の仲裁のために立ち上がった、という伝説があるのは面白いですよね。ちなみにこの「ヌプカウシ」、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」によると、営林署図には「奴深牛」とあるそうです。
トウマベツ川
(典拠あり、類型あり)
鹿追から然別湖に向かう道道 85 号は「西ヌプカウシヌプリ」の南側(とても見晴らしの良いところです)を通っていますが、然別湖の流出河川(然別川に合流する)は西ヌプカウシヌプリの北側を通っています。途中は高さ 150 m ほどの崖のようになっているところもあり、かなり深く掘れた川のようです。現在は、この流出河川の名前も「然別川」とされています。「然別湖」から流出するのだから「然別川」というのも理解できなくは無いのですが、本来の「シカリベツ」は現在の「シイシカリベツ川」のほうで、現在「然別川」を名乗っている然別湖の流出河川は「トウマベツ川」という名前だったようです。
山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。
トウマベツはその湖から流れ出て西流して,南流する然別川本流と合流している。トー・オマ・ペッ(to-oma-pet 湖・に入って行く・川)の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.318 より引用)
to-oma-pet で「湖・そこに入る・川」ということですね。全く異論はありません。太古の昔、アイヌは漁撈の民だったとも言われています。そういった背景もあってか、アイヌにとって「川」とは「河口から遡るもの」でした。流出河川を「そこ(然別湖)に入る」と呼ぶのは変な感じもするかもしれませんが、「川とは遡るものと見つけたり」なので、これで良い、ということなんです。
ちねみに「トウマベツ川」という名前も、現在は失われてしまった名前かもしれませんが、少なくとも 1980 年代の地図には名前が残っているので、名前が消えたのは比較的最近のようです。
南ペトウトル山
(典拠あり、類型あり)
然別湖の西に聳える山の名前です。また、然別湖の北側に「山田温泉」という秘湯がありますが、山田温泉から見て西の方角(南ペトウトル山から見ると北の方角)には「北ペトウトル山」もあります。では早速ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。
ペトウトル山
然別湖の西岸にある一三四〇メートルの山。ぺッ・ウト゚ㇽは川と川の間の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
「ペトウトル山」には「南ペトウトル山」と「北ペトウトル山」があるのですが、更科さんが「ペトウトル山」としているのは、現在の「南ペトウトル山」のことのようです。pet-utur で「川・あいだ」と見て良さそうですね。まだ続きがありましたので、見ておきましょうか。
川にはさまれた山ということで、別にシタマシヌプリといって天から狼のおりた山であると伝えられている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
へー。シタまたはセタは犬であるが、古くは狼もそう呼んだらしく、マシはウシのなまりだとすれば沢山いるということで、狼の沢山いる山ということ、セタ・ウㇱ・ヌプリという山は日高静内の奥にもあり、狼の群れていた山であるという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
は……はぁ(汗)。この多方向から一気に畳み掛ける文章構成はさすが更科さんと言った感じですね(汗)。もう少し句点が多いと嬉しいのですが(汗)。ヤンベツ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
然別湖に流入する河川の中で最大手のものです。然別湖は湖の西側が「鹿追町」で、東側が「上士幌町」に属していますが、ヤンベツ川も川の西側が「鹿追町」で、東側が「上士幌町」です。今回も、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。
ヤンペッ
然別湖の奥にある川、北見斜里部の止別と同じヤムペッで水の冷たい川の意である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
えっ、もう終わりですか……? 「ペトウトル山」で見せた怒涛の脱線攻撃は無いので……?一方、「道東地方のアイヌ語地名」を自費出版された鎌田正信さんは、自著の中で次のように疑問を呈していました。
ヤンペツはそのまゝ解するとヤン(冷い)ペッ(川)ということになるが、知里博士は斜里町の止別の地名について次のように書かれておられる。『原名「ヤンペツ」。従来ヤㇺ・ペッ(yam-pet 冷い・川) の義に解かれていたげれども賛成できない。アイヌ語でヤㇺ・ワッカ(冷い・水)とは言うが、ヤㇺ・ペッ(冷い・川)とは言わないからである。もとの形はヤワンペッで、松浦武四郎の「廻浦日記」にもそのように出ている。語原はヤ・ワ・アン・ペッ(ya-wa-an-pet 内地の方・に・ある・川)で斜里よりも手前にある川なのでそう名づけたのであろう。』と(知里眞志保著作集 3)
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.102 より引用)
あらら、壮大な孫引きになってしまいました(すいません)。うーん、確かに知里さんの疑問ももっともな気もします。「ヤ」は海に対しての「陸」の意である。ここの場合然別湖に対して、この川は内陸の方にあるので名づけられたのであろうか。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.102 より引用)
そうですね。この解釈の蓋然性が高そうに思えてきました。とは言え yam-wakka-pet が略された可能性も否定できないので、……両論併記ですかね。yam-pet で「冷たい・川」か、あるいは ya-wa-an-pet で「内陸のほう・に・ある・川」か、このあたりでは無いでしょうか。www.bojan.net
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こんにちは。
返信削除いつも興味深く読ませていただいております。
ありがとうございます。
ヤンベツについて調べておりましたところ、
鹿追町史の中に、昭和4年のヤンベツ川での養殖の免許出願の件が記載されていました。
その中に、対象地が河東郡鹿追村字然別国有林六九林班 ヤムワカ川左岸と記されております。
おそらく当時のアイヌ民族はヤムワッカと読んでいたのではないか?と憶測します。
文中の知里博士の地名解はyam-wakka-pet が正解ですね。
さすがです!
情報提供いただきありがとうございます。
返信削除お礼のコメントが遅くなり大変失礼しました。
然別湖の上流の「ヤンベツ川」は yam-wakka-pet の省略形である可能性を補強する情報ということですね。「左岸」というのも「上流に向かって左」なのであればアイヌ風の流儀ということになるので面白いですね。
いつもご愛読いただきありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。