2018年5月13日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (533) 「ニセクシュマナイ沢川・ウェンザル川・パンケユウトラシナイ川・ペンケユウドラシナシ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ニセクシュマナイ沢川

nisey-kes-oma-nay
断崖・末端・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)
国道 274 号は「ニセクシュマナイ橋」で沙流川を渡りますが、そのすぐ上流側で「ニセクシュマナイ川」が沙流川に合流しています。うわ、そのまんまや……。

若干違和感のある名前ですが、明治期の地形図には「ニセイケシュオマナイ」と記されていました。あ、これならそのまんまっぽいですね。nisey-kes-oma-nay で「断崖・末端・そこに入る・川」だったのでしょう。「ニセイ」の「イ」が落とされ、「ケ」が「ク」に間違えられた、ということなのでしょうね。ありそうな間違いだと思います。

ウェンザル川

wen-{sar}
悪い・{沙流川}
(典拠あり、類型あり)
沙流川の源流は「沙流岳」の南北に別れていて、北側が本流の「沙流川」で、南側が「ウェンザル川」です。

戊午日誌「東部沙留誌」には次のように記されていました。

是より凡小川七ツ八ツを過て
     モサラ
右の方に有、是小川也と。左りの方に当りて
     ホリカウエンサラ
左りの方、是屈曲して悪敷サラと云よし也。またしばし過て
     シイサラ
是真中を通り居る本川なりと。其源ユウハリ岳の南の方に添ひ居るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.74 より引用)
ちなみに、松浦武四郎自身はこのあたりを旅したことは無かったようで、

等はシユツカトク申口也。後名義は脇乙名シユクンナに聞取るまゝを志るし置ぬ。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.74 より引用)
とあります。要は「こんなことを聞いたよ」という記録ですね。

消えた「モサラ」

戊午日誌の記載を踏まえて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、確かに沙流川の本流と思しき流れに「シイサラ」とあり、また「ウェンザル川」と思しき流れには「モサラ」とあります。そして「ホリカウエンサラ」に相当する流れは見当たらないのですが、これは現在の「ニセクシュマナイ沢川」だと考えるべきでしょうか。

ただ、これだと「モサラ」=「ウェンザル川」ということになってしまうのと、「ウェンザル川」より「ニセクシュマナイ沢川」のほうが大きな川ということになってしまいます。この矛盾を合理的に解釈するには、戊午日誌の「右の方」と「左りの方」が左右逆だったとするのが最も妥当かな、と思います。

つまり、現在の「ニセクシュマナイ沢川」が「モサラ」(mo-{sar} で「小さな・{沙流川}」)で、「ホリカウエンサラ」が現在の「ウェンザル川」ではないか、という考え方です。

ウェンザル川のどこが悪かったのか

そう言われてみると、ウェンザル川は国道 274 号の「新清見橋」あたりで沙流川と合流していますが、新清見橋に向かうまでは南南東から西北西に向かって流れています。これは(清瀬第二覆道のあたりでは)西北西から南南東に流れている沙流川から見ると horka している(U ターンしている)と言うに相応しいものです。

wen-{sar} は「悪い・{沙流川}」ということですが、一体何が悪かったのかは謎です。現在は「ウェンザル川」という名前で horka は外れていますが、確かに horka なのはウェンザル川の下流部のみなので、horka という形容詞?が外れたのは妥当にも思えてきます。

そもそも、なぜ horka を川の名前に被せるかという話なのですが、horka な川筋を歩くと遠回りになるからそれを予め戒めるためにある……と思うのですね。ウェンザル川も、例えば日高町から上流部の「奥沙流ダム」のあたりに行こうと思えば、途中までペンケヌーシ川沿いを歩いて山越えしたほうが圧倒的に距離は短くなります。「horka とは言いづらいけどルートとしては良くない川」を指して wen(悪い)としたような気もします。気がするだけですけど(汗)。

パンケユウトラシナイ川

panke-yuk-turasi-nay
川下の・鹿・それに沿って登る・川
(典拠あり、類型あり)
国道 274 号の「中の沢橋」と「清流橋」の間で沙流川に注ぐ支流の名前です。似たような川が二つ並んでいますが、西側(沙流川の下流側)で注いでいるのが「パンケユウトラシナイ川」です。

明治期の地形図(の模写)を見ると、「パンケ ユクト゚ラシユナイ」と記されていました。やはり panke-yuk-turasi-nay で「川下の・鹿・それに沿って登る・川」だったようですね(このあたり、「幾寅」「鹿越」系の地名が本当に多いです)。「ユク」を「ユウ」に転記ミスした……ということなんでしょうね。

もしかしたら、OpenStreetMap のミスかもしれませんね。

ペンケユウドラシナシ川

penke-yuk-turasi-nay
川上の・鹿・それに沿って登る・川
(典拠あり、類型あり)
国道 274 号の「中の沢橋」と「清流橋」の間で沙流川に注ぐ支流の名前です。似たような川が二つ並んでいますが、東側(沙流川の上流側)で注いでいるのが「ペンケユウドラシナシ川」です。本当に「──ナシ川」なの? という不安も若干残るのですが、えぇと、OpenStreetMap にそう書いてあったので……(汗)。

もう想像のついた方が大半かと思いますが、明治期の地形図(の模写)には「ペンケユクト゚ラシユナイ」がありました。やはり penke-yuk-turasi-nay で「川上の・鹿・それに沿って登る・川」だったようですね。「ユク」を「ユウ」に転記ミスした上に、「ト゚」を「トゥ」ではなく「ド」として残してしまい、また「ナイ」を「ナシ」にしてしまったということだと思います。

見るからに「パンケ」と「ペンケ」の違いだけの筈だったのに、なんで「ペンケ」だけ変な形になってしまったのかは……謎です。

これももしかしたら、OpenStreetMap のミスかもしれませんね。

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