(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ヨコスト川
(典拠あり、類型あり)
社台川の西に「北海道ポロトGC」というゴルフ場があるようなのですが、「ヨコスト川」はその敷地内を流れています。もしかしたら川の底にはロストボールが大量に埋もれているのかもしれません。ヨコスト川は、その後道央自動車道の下をくぐって、凄まじく小刻みに蛇行しながら海に向かいます。国道 36 号の下をくぐった先でウツナイ川と合流した後、「ヨコスト川」が存続河川として(企業合併みたい)東北東に向かい、最終的には社台川と合流することでようやく海に注ぎます。
ウツナイ川と合流した後ですぐに海に注がないのは、沿岸流の影響で形成された砂丘によるものでしょうね。ウヨロ川がすぐに海に注げなかったのと同じ理由だと思われます。
ヨコスト川の由来について、手元の資料には情報を見つけられなかったのですが、「ヨコスト」という音からは、いくつか試案が考えられそうです。
真っ先に思いつくのが yoko-us-to で「狙う・いつもする・沼」でしょうか。地理院地図の地形図では、ウツナイ川と合流した先の少し下流側に、沼沢地があるように記されています。沼のほとりに身を潜めて獲物を狙ったということでしょうか。
次に思いついたのが yuk-us-to で「鹿・多くいる・沼」です。えーと……そのままですね(汗)。
そして、これらの試案から思い出されるのが、豊頃の「育素多」という地名でした。育素多は yuk-us-ota で「鹿・多くいる・浜」という説と、i-uk-us-ota で「それ(菱)・採取する・いつもする・浜」という解釈があったんですが、「ヨコスト」も i-uk-us-to で「それ・採取する・いつもする・沼」である可能性があるなぁ、と。さて、この中に正解はあるんでしょうか……?(汗)
改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみると、社台川の「東側」に「イクウシヒタ」と記されていることに気が付きました。東西が逆ですし「ヒタ」って何だよ大分かよという話になりますが、「東西蝦夷」だけに東西が逆なのも実は割としょっちゅうあります(ぉぃ)。まさかの i-uk-us-ota 説が俄然ポイントアップの様相です。
ポロチナイ川
(典拠あり、類型あり)
社台川の東側、JR 室蘭本線と道央道の間に「社台白老牧場」という場所があります(競走馬関連の施設でしょうか)が、その東側を流れる支流の名前です。ちょっと良くわからない名前だなーと思っていたのですが、昔の地形図には「ポロウト゚ナイ」と記されていました。あ、これなら何も悩むことは無いですね。
永田地名解にも次のように記されていました。
Poro utu nai ポロ ウト゚ ナイ 大脇川多くの場合、ut は「肋(あばら)」と解釈されていましたが、確かに「脇」(むしろ「腋」かも)と言えなくも無いですね。と言いつつ今回は慣れ親しんだ「肋」と解釈しておこうと思います。poro-ut-nay で「大きな・肋(あばら)・川」ということでしょう。
「肋川」の考え方については、最近ではウツナイ川のところで記していますので、お手数ですがそちらをご参照ください。端的に言えば「本流に対して直角に近い角度で注ぐ川」となるかと思います。
別々川(べつべつ──)
(典拠あり、類型あり)
白老町と苫小牧市の境界を流れる川の名前です。永田地名解には次のように記されていました。Petpet ペッペッ 川川 此川ハ西又東ヘ曲流シテ殆ント別水カト疑ハシム故ニ川々ト名ク
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.209 より引用)
pet-pet で「川・川」だと言うのですね。pet に「別」という字を当てたのは和人ですが、「別水かと疑わしむ故に『川川』と名づく」という説明を見ると、なんだか凄い偶然のようにも思えてきますね(あるいは単なる駄洒落にも見えますが)。永田地名解のこの駄洒落……じゃなくて記載を、山田秀三さんは次のように解釈していました。
古くは中,下流がやちだったので,そんな姿で曲流していたものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.383 より引用)
そんなところだったのでしょうか。白老川やウヨロ川の河口が海岸の砂によって酷く歪められているのは現在でもそのままですが、古くは社台川や別々川も河口が派手に西偏していたようですね。また、中流域には多数の「三日月湖」を見ることができますが、この辺から「別々川」という名前が出た……と言ったところでしょうか。www.bojan.net
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