(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ポントコ山
(典拠あり、類型あり)
サトオカシベツ川の上流部の東側にある山の名前です。アイヌは、川についてはほぼ例外なく名前をつけていましたが、一方で山については割と無頓着だった印象があります。そういう意味では「ポントコ山」という名前は結構貴重なものなのかもしれません。地理院地図に名前が残るほどの山の割には、手持ちの資料にはあまり情報が無く……。辛うじて更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」に記載がありました。
ポントコ山
富浦の山手にある小さな瘤のような山、ポンは小さいまだは子供の意味で、トコはトコㇺの訛りで瘤のこと。タンコブのような小山という意味である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.64 より引用)
ふむふむ。pon-tokom で「小さな・小山」と解釈したのですね。注目すべきは、更科さんも知里さん流の「pon = 子供」説に従っているところでしょうか。「子」がいるなら「親」もいる筈なのですが、地形図を眺めた限りでは近くにそれっぽい山は見当たらないように思えます。
この場合の比較対象は……来馬岳なんでしょうかね。スケールも距離感も違いすぎるようにも思えますが、まぁ、別に決まりがあるわけでも無いでしょうし……。
クスリサンベツ川
(典拠あり、類型あり)
登別川を遡ると登別温泉がある……と漠然と考えている方も少なくないと思いますが(自分もそうでした)、実はそれは誤りで、登別川を遡った先には「カルルス温泉」があります。この「カルルス」の由来についても面白い話があるので、後でご紹介します。本題に戻りますと、登別温泉は、登別川の支流である「クスリサンベツ川」の上流にあります。この「クスリサンベツ川」ですが、知里さんと山田秀三さんの共著「幌別町のアイヌ語地名」には次のように記されていました。
(76) クスリエサンペッ。<kusúri-e-san-pet(薬湯・そこを通つて・出てくる・川)。クスリサンベツと云うのは和人なまり。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.20 より引用)※ 原文ママ
kusuri-e-san-pet で「薬湯・そこで・山から出てくる・川」と読み解けそうでしょうか。e が補完されているあたりに知里さんの拘りを感じますね。
kusuri はどうやら和語由来のようですね。平山裕人さんの「アイヌ語古語辞典」によると、上原熊次郎の「藻塩草」(1792 年)の時点で既に「クスリ」という語彙が使用されているとのこと。もちろん松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」にも「クスリサンヘツ」という文字が記されています。いったいいつ頃から北海道(あ、「蝦夷地」か)に移入したのか、ちょっと興味が湧いてきますね。
服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」によると、kusúri という語彙は(千島以外では)広く使われていたようで、yu (温泉)に対する seseki (温泉)のような旧語彙?は見当たらないようです(「塗り薬」や「煎じ薬」に相当する具体的な語彙はあるようですが)。
カルルス温泉
登別川の本流を遡った先にある温泉の名前です。来馬岳の麓にあって、近くに「サンライバスキー場」もあります。
「わりと感じのいい,たのしい本」として知られる知里さんの「アイヌ語入門」には、次のように記されていました。
このカルルスの語原をアイヌ語で説いた人がある。カルルスは,ka-rur-us で,ka は「上」,rur は「海水」,「us」は「つく」,従ってカルルスは「津浪ノタメニソノ上ヲ水ガ通リスギタ所」の意だったというのである。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.33-34 より引用)
知里さんは、この解釈を「まことにゴモットモといいたいような,巧みな説である」としながらも、「しかし,ぜんぜん成立の余地のない説である」として、具体的には次のように反論しています。第一,語法上からいって,その人のいうような意味であったら,アイヌ語では,「カルルス」ka-rur-us-i でなく,「カシルルシ」kasi-rur-us-i(その上に・海水が・ついた・所)とならなければならない。ka は単に「上」の意,kasi は「その上」の意である。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.34 より引用)
なるほど。確かに ninar-ka で「台地の・上」とか ri-hur-ka で「高い・丘の・上」という地名がありますが、「上の表面」であれば kasi としないといけない、ということですね。第二,この温泉は津浪なぞあっても,海水なぞ通り越しそうもない山奥にある。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.34 より引用)
これはまぁ、そうですよね。普通に考えて来馬岳の麓まで津浪がやってくるとはちょっと考えがたいです。最後に,そしてこれこそ決定的な理由であるが,史実がそれの成立を許さぬ。この温泉は,ラジウム含有単純泉で,その泉質がオーストリアのカルルスバード(Karlsbad カルルス温泉,カルルの温泉の意)に似ているというので,そう名づけられたという歴史が明かになっているからである。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.34 より引用)
最初から白黒がついていたにもかかわらず、全力で潰しにかかるあたり、「わりと感じのいい,たのしい本」の面目躍如と言った感じでしょうか(汗)。ちなみに、「オーストリアのカルルスバード」は、現在はチェコ共和国の「カルロヴィ・ヴァリ」となっています。
バチェラーさんに聞いてみよう
さて、答が出た後で趣味が悪いですが、J・B・バチェラー氏の「アイヌ地名考」を見てみましょうか。GARURUSHI(ガルルシ)──Karurush「軽石の地」。この名で呼ばれる場所には良質の温泉があり、往時、アイヌの人々はよくそこへ通っていた。KARU は大きな軽石を一般的に表わすアイヌ語である。ここにはそれがたくさんある。RUSH は本来は RU と USH というふたつの単語である。RU は複数の印であり、従って KARURU は実際には「軽石(複数)」ということである。USH または USHI は処格の助詞。従って KARU-RU-USHI は、「たくさんの大きな軽石がある所」ということになり、実際その通りの土地である。
(J・B・バチェラー・著 中川裕・訳「アイヌ地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.210 より引用)
ガルル……(汗)。ちなみに「軽石」を意味する語彙としては、知里さんの「アイヌ語入門」に sís-si-rup (山・糞・とける物?)というものが記録されていたほか、田村すず子さんの「アイヌ語沙流方言辞典」には uhuy-suma(燃えた・石)というものが記録されていました。そしてここからがメインパートなのですが、
一方、最近になって非常に独創的な語源解が考え出された。ここの水がバーデンのカルルスルーエの水に似ているところから、ドイツ人がこう名付けたというのである。でも、アイヌの人たちは、カルルスルーエという名など聞いたこともないのだ。
(J・B・バチェラー・著 中川裕・訳「アイヌ地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.210 より引用)
なーんだ、バチェラーさんもほぼ正解に近づいていたんじゃないですか。Karlsbad と Karlsruhe、かなりいい所まで来てたのに、惜しいことをしたものです。www.bojan.net
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