因原と鹿賀の間で撮影したものではありませんが、似たような構造の場所がほかにもあったので、そこで撮影した写真をお見せします。
これは何かと言うと、川の堤防が嵩上げされたということなんですが、ところが三江線の線路は嵩上げされていないので、結果として堤防に隙間ができてしまっている、ということです。
もちろんこれでは何のために嵩上げしたのか……ということになるので、鉄製の門扉を用意して、いざという時は門扉を閉めることで氾濫を防ごう……ということのようです。三江線もこれまでに何度か水害で全線不通という憂き目に遭っていますが、このあたりは定期的に豪雨による水害に見舞われてきたからか、堤防の改良などを精力的に行っているようですね。
鹿賀駅(しかが──)
因原から 3.1 km ほどで、次の鹿賀駅に到着しました。駅前には美食アカデミー主宰のあの人が……いませんでした(そもそも読みが違うし)。謎な写真ですいません。いや、ホームが進行方向左側にあったもので、これ以上の写真が撮影できず……(進行方向左側のボックスには他のお客さんがいたので)。
三江線が石見川本まで延伸したのが 1931 年(昭和 6 年)のことですが、鹿賀駅が開業したのは 1949 年(昭和 24 年)のことです。鹿賀の集落は因原ほど大きくは無いですが、因原まで 3.1 km、石見川越までは 3.5 km あることと、因原に向かう幹線道路(現在の国道 261 号)が川の対岸を通っていること、川を渡らずに隣駅まで移動する場合、がけ崩れのおそれがあること……などから駅の設置が決まったんじゃないかなぁと想像してみました(想像かよ)。
ちなみに鹿賀駅の所在地は「江津市桜江町鹿賀」です。早くも江津市に突入してしまいましたが、地名からもお分かりの通り、2004 年までは「邑智郡桜江町」でした。平成の大合併で江津市に編入されたということですね。
例のアレ「道返し」
鹿賀駅の「例のアレ」こと「三江線神楽愛称駅名」は「道返し」(ちがえし)とのこと。いや、合ってるし……(何の話だ)。「ぶらり三江線WEB」の「神楽愛称駅名 演目解説」によると、この演目の主人公が「武甕槌命」で、駅のすぐ近くにある「春日神社」の祭神がタケミカズチであることからの連想とのこと。……なかなか真っ当な感じの由緒が続きますね。そのうちまた「ゴロ合わせ」が出てくるのではないかと密かに期待していたりしますが……。
鹿賀谷川に陰謀は無かった
鹿賀を出発すると、三江線は再び 90 度近く左に向きを変え、「鹿賀谷川」という川を渡ります。どことなく瓶子が倒れそうな名前の川ですが……(字も読みも違います)。この川も堤防が嵩上げされていて、頑丈そうな鉄扉が用意されていました(最初のほうでお見せしたのが、鹿賀谷川の北側の鉄扉です)。それほど大きな川には見えないのですが、一発の速さがあるんでしょうねぇ……(レーサーみたい)。
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