2018年3月18日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (518) 「岡志別川・サトオカシベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

岡志別川(おかしべつ──)

o-kas(-un)-pet
川尻・小屋(・ある)・川
(典拠あり、類型あり)
知里さん山田秀三さんの共著である「幌別町のアイヌ語地名」の「あとがき」に、次のように記されています。

 著者のうち知里は幌別の出身であり、山田は幌別の北海道曹達の工場に職場をもつているために、共にかねてこの辺の地名と伝説に親みと関心とをもつていた。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 「あとがき」より引用)※ 原文ママ
細かい話をすれば、知里さんの実家は登別駅の近くにありました。一方、山田秀三さんが社長を務めていた「北海道曹達」の工場は幌別駅からそれほど遠くない岡志別川の近くにありました(岡志別に工場を建設することにしたのも、山田さんが社長を務めていた頃だと記憶しています)。そんなわけで、「岡志別」と言えば山田秀三さんのホームグラウンドという印象があります。

ということで、岡志別の地名解は山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」に全面的に乗っかることにしましょう。

 登別市千歳、筆者が働く北海道曹達幌別工場の中を流れる川。小流であるが、地名語解説のため、略記しておきたい。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.164 より引用)
そう言えば、幌別の中心街の地名は軒並み瑞祥地名っぽい感じですね(「富士町」「桜木町」「常盤町」そして工場のあった「千歳町」など)。ダムの近くに「片倉町」がありますが、これは伊達家の家臣として知られた「片倉氏」の 14 代当主・片倉景光に由来するみたいです。

ちなみに「仙台藩」と言えば「伊達氏」、そして「伊達氏」と言えば当別町を開拓した「伊達邦直」と伊達市を開拓した「伊達邦成」の名前を思い浮かべますが、伊達邦直・伊達邦成兄弟は「亘理伊達氏」で、片倉氏が仕えた「伊達氏」から見ると分家にあたります。

伝説のオウガ・バトル

さて、岡志別川に話題を戻しましょう。

前はオカシベ、オカチペ、ウカッチウペッなどの名でも呼ばれた。ウカッチウペッは、アイヌが川を挾んで喧嘩をしたという伝説からきた名で、U-katchiu-pet (互に、槍を投げてさす・川)の意。説話であろう。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.164 より引用)
うわっ、そんな珍妙な説があったとは……。ということで永田地名解を見てみると……

Ukatchiu pet  ウカッチウ ペッ  槍戰川「オヵシペッ」ト呼ブハ誤ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.201 より引用)
本当ですね。しかも永田っちはご丁寧に「『オヵシペッ』と呼ぶは誤り」とまで注釈をつけています。

そして、知里さんと山田さんの共著である「幌別町のアイヌ語地名」は、

(135) オカチペ。或はオカㇱペッ。岡志別川。語原はよく分らないが o(川尻)kas(魚捕小屋)un(ある)pet(川)のようにも聞える。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.26-27 より引用)※ 原文ママ
随分と慎重な調子ですが、もしかして山田さんの文章なんでしょうか。面白いのがこの先で、

伝説によれば、昔ランポッケ(富浦)とワシペッ(鷲別)とどちらにウニ(海栗)が多いかが問題になつた。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.27 より引用)※ 原文ママ
かなりどうでもいい問題のような気もしますが(ぉぃ)、続きを見てみましょう。

そこでこの川を出発点としてそれぞれ東西に走りどちらが早くウニを取つてくるかの競争になつた。やつてみるとワシペッに行つた方が早く帰つてきたので決斗になり、
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.27 より引用)※ 原文ママ
鷲別のほうが早く帰ってきたんだったらもう勝負はついていると思うのですが、そこで何故決闘になるのか……(笑)。

ヨモギの投槍を作つてこの川をへだててお互いに投げあつた。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.27 より引用)※ 原文ママ
は、はぁ(汗)。

それ以来この川を「ウカッチウペッ」(u-katchiw-pet 互いに槍を投げて突きあつた川)とよぶようになつたという。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.27 より引用)※ 原文ママ
うーん、この意味のわからなさが実に味わい深いですよねぇ(笑)。u-kaciw-pet(互いに・突き刺す・川)という解釈から派生してこんなストーリーが出てきたんでしょうけど、もはや実在の地名を元ネタにした「二次創作」と言うに相応しい出来ですよね。いや、ストーリーが荒唐無稽なところとか、好きですけどね。

閑話休題

さて、この「互いに槍を投げて突きあった川」について、山田さんは「説話であろう」と一刀両断に切り捨てた上で

他地方の類形地名から、たぶんオカシペッが原形だろうと思っている。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.164 より引用)
まぁそうでしょうね。o-kas(-un)-pet で「川尻・小屋(・ある)・川」と考えるのが自然でしょう。

サトオカシベツ川

sat-{o-kas-pet}
乾いた・{岡志別川}
(典拠あり、類型あり)
岡志別川の隣を流れている川の名前です。音から素直に解釈すると sat-{o-kas-pet} なのかなぁ……と思うわけですが。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

土地ではサトカチペのようにも呼ばれていた。上流部が札内原野の火山灰地で,平常水が流れていないので,サトカシペッ(←sat-okashpet 乾いている・岡志別川)といわれたものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.393 より引用)
ああ、やはり。sat-{o-kas-pet} で「乾いた・{岡志別川}」となりますね。ちなみに永田地名解には次のように記されていました。

Sat ukatchiu pet  サッ ウカッ チウ ペッ  槍ニテ戰ヒタル乾キ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.201 より引用)
sat- が「乾いた」という意味であることは正確に把握していたものの、ベースが「槍戰川」だったので、こんな珍妙な解に……(笑)。

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