2018年3月11日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (516) 「富岸」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

富岸(とんけし)

to-un-kes?
沼・入る・末端
to-um-kes?
沼・尻・末端
to-hon-kesi?
沼・腹・末端
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
JR 室蘭本線の鷲別と幌別の間あたりを流れる川の名前で、同名の地名(富岸町)もあります。「東蝦夷日誌」にも「トンケシ(小休所)」とあるので、漢字を当てたものの音はそのまま残っていそうな感じですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Tō un kes kotan  トー ウン ケㇲ コタン  沼端村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.202 より引用)
ふーむ。to-un-kes で「沼・入る・末端」と言ったところでしょうか。

手招きする兎

知里さん山田さんの共著「幌別町のアイヌ語地名」には次のように記されていました。地名解とは別の部分で面白い説話が記されていたので、ちょっと長いですが引用してみます。

(198) トンケシ(Tónkesi)。語原は「ト・ウム・ケシ」(to-um-kesi 沼・尻・の末)。昔ここに大きな村があり六人の首領が住んでいた。或時、日高のト゚ヌウオウシという人がここを通つたら、前記キウシト゚の上に兎が一匹立つていて、沖の方へ両手をつき出してしきりに何物かを招きよせるような身振をしていた。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.33 より引用)※ 原文ママ
「キウシト゚」が具体的にどのあたりを指すのかが分かりませんが、おそらくは富岸川の東側、道央道が 4 車線になるあたりでは無いでしょうか。そこに兎が立っていて手招きしていたと言うのですが……。

そこで彼はトンケシの部落に向つて「津浪が来るぞ、早く逃げろ」と叫んだ。六人の首領たちはたまたま酒宴をしていたが、いつせいに立ち上がつて「へん、津浪なぞ来てみろ、こうしてやる、ああしてやる」と云いながら刀を抜いてふりまわしていた。ト゚ヌウオウシは呆れてそのままいつさんに虻田の部落の方へ走り去つた。そのとき彼の背負つていた鞄が背中のうしろで一直線になつたまま落ちなかつたほど物凄い速力だつたという。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.33 より引用)※ 原文ママ
ト゚ヌウオウシは「手招きする兎」を「津浪の知らせ」であると受け取って、それをトンケシの住民に知らせます。ところが酒宴の最中だった首領はその警告を笑い飛ばしてしまったため、ト゚ヌウオウシは已む無く逃げることにした、というストーリーのようですね。

彼が有珠の部落まで来たとき、はるかうしろで津浪のまくれ上る音がした。この津浪で古いトンケシの部落は亡びてしまつたという。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『幌別町のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.33 より引用)※ 原文ママ
特に狙った記憶は無いのですが、大津波のあった日にこんな記事を書くことになるとは……。この伝承がどの程度事実を伝えているのかは良くわかりませんが、何も無いところにこんな創作ができるとも考えがたいので、かつて津波の被害を受けたことが本当にあったのかもしれませんね。

「手招きする兎」の正体?

なぜ「兎」なのかも比較神話学的な視点から見ると興味深いかもしれません。あと、このあたりに津波の被害をもたらすとしたら、真っ先に思い浮かぶのが「浦河沖」というキーワードですが、ト゚ヌウオウシが「日高の住人」というのも面白いですね。まぁ、これは流石に単なる偶然のような気もしますが……。

「えぞおばけ列伝」という読み物にもこの説話が取り上げられています。

 兎と波は実は無関係ではない。一般にアイヌは, 海上に白波が立つのを「イセポ・テレケ」(兎が・とぶ)と言い,沖では兎の名を口にしない。うっかり兎の名を言えば,波が出て来て海が荒れる,と信じているからだ。
(知里真志保「知里真志保著作集 2『えぞおばけ列伝』」平凡社 p.381 より引用)
そう言えば、海上では決して口にしてはならない忌み言葉があったんでしたね。「兎」もそんな忌み言葉の一つだったのでした。

 幌別では,岸打つ波を見せて,赤ん坊をあやしながら,
  オタカ タ    海辺 で
  イセポ      うさちやん
  ポン テレケ   ぴょんと とぶ
  ポン テレケ   ぴょんと とぶ
と歌う。富岸の丘ではその兎の大将が仲間を呼んでいたのである。
(知里真志保「知里真志保著作集 2『えぞおばけ列伝』」平凡社 p.381 より引用)
あっ……! そういうことだったんですね(ようやく理解した)。てっきり英会話の勧誘か何かかと……(ぉぃ

閑話休題

本題に戻ると、知里さんは to-um-kesi で「沼・尻・の末」という解を記していました。-um という語彙について手持ちの資料を確認してみましたが、残念ながら「尻」を意味するという裏付けが取れませんでした。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

 知里博士は to-um-kesi(沼・尻・の末)と書いたり,また to-hon-kesi(沼・の腹・の末)とも書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.397 より引用)
うーん、流石は知里さん。凝った解を出してきますね。古い記録が軒並み「トンケシ」である時点で、これらの解はいずれも妥当に思えてきます。to-hon-kesi で「沼・腹・末端」というのも可能性がありそうですね。

富岸川は鉄道工事で,今は海に直流させてあるが,元来は今の鉄道の北側をずっと西に流れ(現在の上富岸鷲別川の筋),鷲別川に入っていたのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.397 より引用)
OpenStreetMap で「上鷲別富岸川」という川を見つけて、これって運河かな? と思ったりしたのですが、なるほどこれが元来の富岸川だったんですね。それほど室蘭本線のルート選定上の邪魔になるとも思えないのですが、鉄道の工事と合わせて流路変更をするケースもあるということを知りました。

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