(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
母恋(ぼこい)
(典拠あり、類型あり)
室蘭の中心街(市役所があるあたり)の東隣の地名です。室蘭駅の次の駅が「母恋駅」で、「母恋めし」という駅弁?が有名ですね。駅名ですので、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。
母 恋(ぼこい)
所在地 室蘭市
開 駅 昭和 10 年 12 月 29 日 (客)
起 源 アイヌ語の「ポㇰセイ・オ・イ」(ホッキ貝の多い所)から「ポコイ」となまり、「母恋」という字をあてたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.69 より引用)
poksey-o-i で「ホッキ貝・多い・ところ」なのですね。そう言えば「母恋めし」のメインは「ホッキ貝の炊き込みご飯のおにぎり」でしたね。さて、poksey-o-i だと「ポクセヨイ」になりそうですが、現実には「母恋」と呼ばれています。その理由について、知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」を見ておきましょう。
(三二) ボコイ(母恋)。原名「ポコイ」(Pokóy)。語原「ポㇰ・オ・イ」(<pok-o-i〔ホッキ貝・群棲する・所〕)。ポㇰ(pok)或は「ポㇰセイ」(pók-sey)は「ホッキ貝」「ウバ貝」のこと。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.15 より引用)
わざわざ勿体ぶることは無かったですね(汗)。poksey が pok と略されていただけでした。素直に pok-o-i で「ホッキ貝・多い・ところ」と考えれば良かったようです。茶津町(ちゃつちょう)
(典拠あり、類型あり)
母恋駅の北側には「日本製鋼所室蘭製作所」が広がっていますが、その西側のあたりが「茶津町」です。室蘭駅と母恋駅の間には小高い山がありますから、これは……想像のついた方も多いかもしれません。知里さんの薄い本には、次のように記されていました。
(三四) チャツ(茶津)。原名「チャシ」(casi)。アイヌ語「チャシ」(砦)の転訛。「ウェンチャシ」(Wéncasi)とも呼んだらしい。「ウェン・チャシ」(<wen-casi〔悪い(険阻な、不吉な)・砦〕)。「チャシコッ」(casikot)とも。「チャシ・コッ」(<casi-kot〔砦・址〕)。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.16 より引用)
はい。どうやら「チャツ」は「チャシ」の誤記だったみたいですね。確かに「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウエンチヤシ」と記されています。永田地名解には次のように記されていました。
Chashi kot チャシ コッ 砦跡 土人云フ昔「ホツケ」ノ魚ノ骨ヲ用ヒテ槍トナシ此砦ニ據リ防戰シタリトさすがにホッケの骨をそのまま槍にすることはできないでしょうけど、鏃にしたような感じでしょうか。本題に戻ると、永田地名解は「チャシコッ」だったと記録していたことになりますね。まさか「チャシコッ」の「シコ」を抜いた……ってことは……無いですよね。
イタンキ岬
(典拠あり、類型あり)
東室蘭駅の南側に位置する岬の名前です。itanki は「茶碗」や「お椀」を意味するのですが、岬の名前としてはちょっと考えにくいような気もします。ちなみにこの「イタンキ岬」は陸繋島で、かつては独立した島だったと考えられます。「かつて」がいつ頃なのかはさっぱりわかりませんが……(汗)。今回も例によって知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」を見てみます。やはりと言うべきか、熱く語られていますね。
(九二)「イタンキ」(Itánki)。アイヌ語「イタンキ」は椀の義。どうして椀などが地名になつたか、不思議である。それでいろいろな語原説が生れる。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.34 より引用)※ 原文ママ
はい。そういうことですね。続きを見てみましょうか。松浦日誌「椀の如き岬有故号く」。永田地名解「椀」(小島ナリ、昔饑歳ニ逢ヒシトキ下場所ノ土人江鞆ニ来リ食ヲ求メントシテ此処ニ来リ、海中ノ鯨岩ヲ見テ真個ノ寄鯨ナリト思ヒ、鯨ノ流レ寄ルヲ待ツコト数日、薪尽キ遂ニ椀ヲ焼クニ至ルモ鯨岩ノ寄リ来ルベクモアラズ、竟ニ此島ニ餓死セリ、因テ名クト云)。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.34 より引用)
永田地名解を孫引きしてしまいましたが、旧字体が新字体になったのと最後の「云フ」が「云」になってたくらいですのでご容赦を。永田地名解に記されているエピソードは「悲劇」仕立てのもので、飢餓に遭遇したアイヌがイタンキ岬を「クジラ」と見間違えて陸に流れ着くのを数日待ったものの、岬が陸に流れ着く筈もなく、薪木を切らしてしまったためお椀を焼くところまで追い詰められ、ついには餓死した……というものです。これは、更科源蔵さんが得意そうな「地名説話」の一つのようですね。ということで、更科さんの「アイヌ語地名解」を見てみたのですが……
イタンキ浜
イタンキは椀のこと。地形が椀に似ているから名はけたと思うが、飢餓に苦しむ日高人が、ここで椀を焚いて温をとり、餓死したという伝説がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.62 より引用)
意外とあっさりとまとめられていました。ところで「椀に似た地形」って、どの辺がお椀に似ているんでしょう……?知里さんの薄い本に戻りましょう。そこでは次のようなことが示唆されていました。
思うに、古くアイヌが鯨祭を行ったことはすでに私は幾つかの論文の中で明かにした所であるが、今の「いたんき岬」(通称鯨岩)が古くはフンペ(鯨)に関係のある名で呼ばれ、そこで鯨祭が行われたのではなかろうか。「フンペシュマ」(次項)といゝ、「ウト゚ナンカルシ」(九四項)といゝ、「イタンキ」(本項)といゝ、それらの地名及びそれにまつわる伝説はいずれも此地で昔鯨祭が行われたであろうことを暗示するのである。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.34 より引用)
「イタンキ岬」については、山田秀三さんも「東西蝦夷山川地理取調図」で隣接する「フンヘシヤハ」との関連を指摘していました。「フンヘシヤハ」は humpe-sapa で「鯨・頭」だと考えられます。と言った感じで、「鯨」との関連を伺わせる指摘がわんさか見つかる中、何故に itanki(「お椀」)なのかは仮説すら見当たらず……。近くに国道 36 号がトンネルで抜けている小山がありますが、この山がお椀を逆さにしたような形だったりしたんでしょうかね(投げやり気味)。
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