2018年2月18日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (510) 「祝津町・絵鞆町・ハルカラモイ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

祝津町(しゅくづ──)

sikutut?
エゾネギ
si-kut-us-i?
本当の・岩崖・多くある・ところ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
室蘭半島の先端部、白鳥大橋の南側のあたりの地名です。

今回も、まずは知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」から。

(四七) シュクズシ(祝津)。原名「シクト゚ッ」(Sikútut)。この語原は普通土人和人おしなべてエゾネギ(方言アサズキ)の義としている。永田地名解にシクト゚ッ「葱」(今ハ無シ)とあり、松浦日誌にはシクシシ(岩岬)「山蒜多故号く。是より岩崖に成、舟ならで行難し」とある。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.19 より引用)
確かに「東蝦夷日誌」には次のように記されていますね。

シクシヽ(岩岬)山蒜多故號く。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.85 より引用)
確かに sikutut は「エゾネギ」を意味するようです。ただ、知里さんはこの解釈に疑問をいだいたようで……

エソネギの意味ならば「シクト゚ッ・ウㇱ・イ」(<sikútut-us-i〔エソネギ・群生する・所〕)の下略形と見るか、或はシクト゚ト゚シの縮約形シクト゚シがシクズシと訛ったと見る他はない。しかし舟ならでは行き難いような山崖の岬にエゾネギの群落があって地名になるのも変だ。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.19-20 より引用)
そして、「エゾネギ」説の代わりに次のような解釈ができるのではないか、としました。

むしろ「シ・クッ・ウㇱ・イ」(<si-kut-us-i〔全くの・岩崖・群在する・場所〕)からシクト゚シ→シュクズシに訛って行ったのではなかろうか。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.20 より引用)
si-kut-us-i で「本当の・岩崖・多くある・ところ」と読み解けるのではないか、という解釈ですね。確かにそのように読み解けなくも無いのかもしれませんが……

山田秀三さんは、両方の説を俯瞰した上で、次のように記していました。

ただし小樽の同名の処も昔から野蒜と考えられて来た。土地の伝承は残して置きたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.400 より引用)
古くからの伝承を大切にするところが、いかにも山田さんらしいですね。

知里さんの「舟ならでは行き難いような山崖の岬にエゾネギの群落があって地名になるのも変だ」という疑問ももっともに思えますが、si-kut と呼ぶにふさわしい地形があったのかな……と思ったりもします。

むしろ sir-kur で「大地・影」と考えることはできないでしょうか? sir-kur-us-i で「大地・影・多くある・ところ」ではないかという試案なのですが、いかがなものでしょう……?(山の北側だったら日陰になる時間が多そうじゃないですか)

絵鞆町(えとも──)

{en-rum}?

etu-moy?
岬・静かな海
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
祝津町の西側、室蘭半島の西端に位置する地名です。室蘭半島の西部はかつては「絵鞆村」という名前の村でした。

東蝦夷日誌には次のように記されていました。

エトモ(岬)鼻の義也。又エンケンの詰りともいへり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.85 より引用)
一方、知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」には次のようにありました。

(五二) エドモ(絵鞆)。原名「エンルム」(Enrum)。語源「エンルム」(enrum〔岬〕;<en-rum)〔突き出ている・頭〕)。永田氏はさらに 「エンルムエト゚プ」(Enrum etup)なる地名を挙げているが、これは「エンルム・工ト゚フ」(Enrum-etúhu〔エンルム・の崎〕)の誤である。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.22 より引用)
うーん……。伊達市の「エントモ岬」でも疑問に思ったのですが、何故「エンルム」が「エトモ」に化けたのかという謎に対する答えが見当たらないんですよね。

とりあえず {en-rum} で「」だというのは外せないとして、「エトモ」という音に近い解をどうしても考えたくなってしまいます。……結局のところ、やっぱ etu-moy で「岬・静かな海」あたりしか思いつかないのですが、実際のところはどうなんでしょうねぇ……。

e-tom で「頭・光る」というのも一応考えてみたんですけど、流石にこれは無いですよね……?

ハルカラモイ

haru-kar-moy
食料・取る・入江
(典拠あり、類型あり)
絵鞆町から少し南に行ったところの景勝地の名前です。「東蝦夷日誌」には次のように記されていました。

ハルカルモイ(小灣)何魚にても取に宜き灣の義也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.86 より引用)
なるほど、haru-kar-moy で「食料・取る・入江」と考えたのでしょうか。

永田地名解には次のように記されていました。

Haru kara moi  ハル カラ モイ  食料ヲ作ル灣 「ハル」ハ食料ニテ魚類野菜等ヲ云フ此處魚ヲ多ク乾シ食料ヲ蓄ヘタルヲ以テ名クト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.193 より引用)
どうやら東蝦夷日誌と同じ解釈だったようですね。

知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」もこれらの解釈を追認していたようでした。

(六四) ハルカラモイ。原名「ハルカㇽモイ」(Harúkarmoy)。語原「ハル・カㇽ・モイ」(<harú-kar-moy〔食料・とる・入江〕。
(知里真志保・山田秀三「(復刻版)室蘭・登別のアイヌ語地名『室蘭市のアイヌ語地名』」知里真志保を語る会 p.25 より引用)
「ハル」と「カㇽ」で「ル」の大きさが異なるあたりが流石ですよね。ハルカラモイはチキウ岬やトッカリショ岬と比べると圧倒的に地味なところですが、なかなかの絶景ポイントですので、近くを通った際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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